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リーダーシップ

仕事帰りに寄った安曇野の温泉であたたまりながら、リーダーシップって何だろうか?と改めてふと考えた。

いろいろ悩んだ末に思ったのは、やはりリーダーというのは「見渡して方向を決める役」であり、かつ、それはあくまでパート(役割)であり、ポジション(地位)ではない、ということだ。

このテーマについて考えるときには、いつも10年前に読んだ「リーダーシップの旅 - 見えないものを見る」という本の中のたとえを思い出してしまう。

「リーダーとはみんなが危険だと知っていても、その先に素晴らしい場所が待っているとわかっているなら、目の前の沼を率先して渡っていくのである」

また、リーダーは自分がなろうと思ってなるものではない、というくだりも強烈に印象的だった。一般的には組織に任命されたり、自ら志願して経営者や管理職になるものだろう。しかし、この本に書かれているような経営学の文脈で言えば「みんながフォローすることで自然発生する」のがリーダーなのだ。

例えば、あなたがある集団のリーダーで、「谷を越えて東へ行く」とか、「川を渡って南下する」とか決めたとする。みんなは「リーダーがそう決断したならそうしよう」と従う(フォローする)ことになる。

もし、結果として谷の向こうの東側でようやく水が手に入ったり、川の南の反対側で今よりも安全な場所が確保されたら、「みんな」はあなたが「いい仕事をした」と認めるだろう。しかし水も確保できない、さらに危険なところにしか行けなかった、ということならリーダーとして自然に信頼されなくなっていくものではないだろうか。

おそらく、リーダーの「パート」をやることになったなら「正しく判断して行き先を決める」のが最も重要な仕事だ。正しい方向が見えていないなら、それは歌えないボーカルがバンドにいるようなものだ。

「正しい方向が見える」って、ずいぶんシンプルな表現だけど、たぶんすごく難しい。ただ、最近は自分なりにちょっとだけそれを改善するやり方を思いついた。それは「十分に観察をして、必要なことを直接確かめる労力を惜しまないこと」かなと思う。

全体を見渡す時間と、必要な細部を確認する労力を確保していれば、僕のような未熟な人間でも、少しは間違った判断をする確率を減らせるのではないかと思う。少なくとも、これまでの(リーダーとしての)僕のミスの原因の多くはそれかなという気がしている。

会議室の中で聞いた話だけで何かを決めるなんて、とてつもなく怖いことだ。時間に追われて、他のメンバーに重要な判断を丸投げするなんて、とんでもなくお粗末な話だ。

僕のような欠点が多い人間でも、信頼してうちの会社で一緒に働いてくれる人たちがいる。そして、彼らは「リード」している僕の判断を信じてくれているのだ。

谷を越えた先のことも、川を渡った後のことも、確かなことは誰にもわからない。そもそも不確実でリスクのある状況だから、どこに向かうかを決めるリーダーが必要なのではないか。

観察すること、確かめることをコツコツやっていきたい。