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青空に乗せて

初夏が近づく頃、少し汗ばんだ僕は拳闘で打ちのめすときの相手の顔、その眼差しを見てマウントを取っていた。その至る所で、計算したかのような相手の動きを、洞察して、幻の中へまっすぐと拳を突いた。

珈琲を飲んでいる現実が僕に色々な知識を教えてくれる。サッと、形を整えた騎士団のリーダーが、近接戦で戦っている。想像できないほどのテンポではやぶさのように突き破る剣にはどこかの悲鳴にも似た、憤りのない虚しさがあった。

目が見えないような動きは、初夏の季節にぴったりだった。
打ち込んでくるサウンドバッグが転がってくる。僕は、身体が多少不自由なところがあるので、少しのことに優しさを感じる。そして、恐らく最も不器用な理系であった。文化系の人のユーモアは、雰囲気から理解できるが、肝心の詩人独特の意味や記憶力は持ち合わせていない。昔から、語彙が不足しているのだ。しかし、それはボキャブラリーを増やす材料にはなった。

自分の最大の悩みとして、文化系の女子の大半が優しさを持って接してくれる側面はあった。しかし、その悩みの殆どは、彼女らの文才の方がずっと上であること、彼女らの文章の方がずっと洗練されていることであった。そういったわけで、僕は彼女らの所謂、優等生までも…と、創作活動をするに当たって戦わなければいけなかった!

歳をとった僕は、何よりも「言葉でいいくるめてくる女子」の自意識に対して、遅れをとっていた。アネモネさんみたいな例外もあるが、殆どの女子は社会学の関係の女子であった。

とりわけ、僕が亡くなった母から学んだことは、
「女性は優しい」
ということであった。これには、賛否が別れるところではあるが、騙されることに関しては、一級の才能を持ち、自分が無知な故に、殆ど女性との会話が成り立たないことには違いなかった。

つまり、女性からまるで猫のように扱われると形容しても良いくらい女性について無知だったのだ。自分自身を文学調に述べるとこんな感じであった。若い頃しか恋愛をしたことがない。女性がアクセサリーを変えると、すぐに反射的に「新しいネックレスだ!」というところであった。

女性から見れば、こんな駄文は厄介で作品の価値もないだろう。しかし、何故か気がついてしまう女子力。何にもしない夏、我が家に遊びにやってくる人の為に、サボテンなどを飾っておこうと思う。

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