生きていくこと
小鳥の群れは、はるか彼方に消えていった。白銀塔の景色は、緩やかな温かさを保ちながら、また迫る風、何度も願った岬にて、艶のよい光沢と混ざり合っていた。永い間、自分は眠っていたようにも思われる。どこかの船乗りが叫ぶ声がして、「現実」という時空に出会った。
その頃の僕らは、いつも何かに振り回されていて、途方もない迫り来る恐怖と安堵に、一喜一憂していた。大抵の人間は、何らかの大義がないと生きてゆけぬものだから、それを大切にしようと思った。誰にだって、領域というものは存在しうるものだから、一重に生きるということは出来ない。心の中で、風を感じ、雨を知る。そういう情動だけで生き抜くこともできた。
田舎育ちである自分には、存在の感覚がなくなり、まるで森の中で過ごしているような錯覚にすらなり得た。情動が情動を呼んでいた時代に、生まれてきて、煌びやかな星座や古い地層について、図鑑を買ってもらったことがあった。その頃、いよいよ街にもデパートが出来て、みたことのないような噴水の募金箱があった。5円玉を投げた。世の中には、困っている人が沢山いるんだよ。と優しい口調で、話してくれた母の面影を今も忘れてはいなかった。その頃は、実に懐かしい年であり、表面上のもの、例えにしていうと「氷」をぶち破った感触の心があった。タイプスリップするかのように、過去に戻っていく。美しい声が、どこからか浮かびながら、夢って何だろうと再確認した。
微風の世界には、混沌とした何かが揺らめいており、その振動が伝わってくる。これは、現象なのであろうか。それとも、もっと現実的なことであろうか。自分でもわからない。知る人ぞ知る曖昧な感覚だった。心のどこかに躊躇している自分に相槌を打った。その瞬間、何だか人には優しさを与えて、その痛みを知り、愛憎を斬りつけて、何となく生きているという感覚である僕を射た。
崩れ落ちたハートは、無限の虹を作り出して、砂浜で遊んでいる兄弟の中に入っていった。そうしているうちに、陽の光は一目散に辺りを照らして
「あなたは、太陽が好きなの?」
というシンプルな答えを得た。その時であろうか。あまりの眩しさに、目を閉じると、いつかの君が駆けている。あの時の僕が駆けているという憧憬に導かれた。雨の日も、風の日も、ずっと守ってくれた母性に僕は初めて向き合うことが出来た。
稲妻の中を彷徨う人々が、負けるなと叫び出す。あれほど嫌がっていた過去を受け入れることが出来た。僕は、まだ生きたい!
辺りには、雷が何度も何度も打ちつけられて、人々が苦しんでいる。その声に語りかけるように。
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