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みんな誰かのオンリーワン

「For nine years.
Can you imagine what a long time it is? 」
(9年間。あなたはそれがどれだけ長い年月か、想像することができますか?)

と冒頭で話しかける

『命を大切に』と訳した英語のスピーチは、
中学生の頃の
最初の強い自己主張だったのかもしれない。


中学3年生で、学年から2人、
英語の弁論大会に出られるという。
それは毎年3年生がしてきたことで、
先輩たちを見て、カッコイイと思っていた。

自分は迷わず、
それに出たいと思った。


弁論内容や英訳は、
すべて自分でしなければならなかった。
そしてスピーチするにあたり、
すべて暗記しなければならなかった。


同じクラスに自分より頭のいいヤツがいて、
いつもテストの点を競い合っていた。

そいつも出ることになったんだけど、
不思議と、いつも競い合っている相手に負けたくないとか、そういう感情は、
全く抱かなかった。


「自分は自分のスピーチをするぞ!」
というような意気込んだものでもなく。

ただ、伝えたい想いがあった。


それは、「生きる」ということ。


歳の離れた兄貴には、
中学生の頃、仲のいい親友がいた。
その親友は野球をやっていて、
毎年甲子園に出場する進学校に進学することが
夢だったという。

兄貴も、その高校を受ける予定でいた。

「お前は野球を頑張る。俺は勉強を頑張る。」と、約束をしていたらしい。


年が明けてすぐ、信じられない訃報が入った。

兄貴の親友であるK君が、病気で亡くなった。


その高校に、兄貴は合格した。


兄貴は入学式を終えた足で野球部に向かい、
野球のボールをもらってきた。

母親に連れられて一緒にK君のお墓に行った。

お墓に
もらってきた野球のボールを供えながら、
兄貴は泣いていた。

「野球、やりたかったのにな。」と。


本当は、
兄貴の第一志望は別の高校だった。
第一志望も合格していたのに、
兄貴は迷わず親友と約束していた高校へ進学した。

無口な兄貴が「男の約束だから」なんて
カッコいいこと言っていたけど、

あんなに行きたがっていた高校。

3年間頑張って受けた第一志望を蹴って、
親友との約束の高校へと進んだ兄貴の
本当の気持ちはどうだったんだろう。。


時を経て、

自分が中学生になったあの頃、
同年代の自殺が後を絶たなかった。


生きたくても生きられない人がいる。
死にたくないのに死んだ人がいる。
生きているのに死んでいる人がいる。
生きられるのに死んだ人がいる。


そんな想いを、

「Live everybody live!!
Know how wonderful life is!!」
(みなさん生きて下さい!人生がどれだけ素晴らしいものか知ってください!)

と語を結んだスピーチは、
全国大会3位で終わった。

たかだか15年しか生きていない中学生の
「生きて、生きて、生きて!!」
と唱えたスピーチを、多くの大人たちが
その「生きること」の内容を評価してくれた。

世の中に伝えたかったことが伝わった。
それが、嬉しかった。


弁論大会のそのすぐ後に行われた中学生最後の文化祭の時、全校生徒が集合し、
保護者もいる体育館で登壇し、
同じ内容を英語でスピーチした。

スピーチを聞きに来ていた母親は、
体育館後方で泣いていたと
後から友達に聞いた。

文化祭当日まで、
母親はスピーチの内容を知らなかった。

そのスピーチの中には、
母親が長年苦しんできた、
祖父母の介護のことも書いてあったからだ。


自分が医療の世界を志したのは、
そんな両親を見てきたからだ。
両親の長年の苦労を知っている。

冒頭に記した
「For nine years.
Can you imagine what a long time it is? 」
(9年間。あなたはそれがどれだけ長い年月か、想像することができますか?)
その内容は、
両親が祖父母を介護してきた年月だった。

フルタイムで仕事をしながら介護もして、自分たちを育ててくれた。だから両親が年老いた時に、頼れる自分でありたかった。

幅広く専門的な知識と確かな技術をもって、
両親の最後を看取ろうと心に決めたのは、
物心ついてすぐのことだったと思う。


生徒会長であったことをいいことに
自分で選曲した文化祭のテーマ曲。
『We Are the World』が流れ始めた。

それと同時に、涙が流れ始めた。
理由はよく覚えていない。
なんで、あのとき自分は泣いていたのだろう。


みんな誰かのonly one。

君が誰かを特別に想うように、
君も誰かの特別な人であることを、
忘れないでほしい。

生きてこそ。

命がすべてだ。


自分の命を大切にできない人は、
人の命も大切にはできないと思う。

人の命を大切にできる人は、
自分の命も大切にできると思う。


命がなくなったら、

行きたい場所に行くことも
素晴らしい景色を見ることも
思い出の場所に再び立つことも
素晴らしい音楽や大切な誰かの声を聴くことも
大切な誰かに大切だと伝えることも
できなくなる。


だから自分は、
大切な人とすべての命を大切にしながら、
全力で生き続ける。





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