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エシカル消費とラナプラザの悲劇

1.ほんわかした授業で忘れられない単語と出会う

 最近よく聞く「エシカル消費」とはなんだろう。
 地域の活性化や雇用なども含む、人や社会・環境に配慮した倫理的消費行動のことを指すこの言葉は、これまた最近よく耳にするSDGs(=持続可能な活動目標)の12番「つくる責任 つかう責任」の一つとも言える。

 私が最初にこの単語に出会ったのは大学3年生に受けた授業のトピックだった。
 家庭経済学と名のついたその授業は、コンビニに関する問題や詐欺の話など、身近な経済についての話をほんわかした雰囲気の先生がほんわかした雰囲気でお届けしてくれる、ほんわかした授業であった。(ほんわかしすぎてよく睡眠時間に充てていたことは今ここで謝罪しておく。)
 当時デザインプロデュースを勉強していた私は家庭経済学という学問に興味があったわけではなく、単に資格を取るための必要単位だったというだけなのだが、忘れられない単語になるほどこの授業の1トピックを覚えているのには、このコマ内である衝撃的な事件を扱っていたからだ。

2.衝撃的な事件

 バングラデシュの首都ダッカ、2013年4月24日朝9時とまで記せばピンとくる人もいるだろう。「ラナプラザの悲劇」とも言われている8階建ての商業ビル「ラナプラザ」が崩壊した事故だ。
 崩壊したこのビルには銀行や商店の他に、5つの縫製工場が入っており、4,000人ほどの従業員が働いていた。そして、それらの縫製工場で作られていたのは欧米の大手アパレルメーカーの安価なファストファッションブランドの衣料品であったのだ。

死者1,130人以上、負傷者2,500人以上、500人以上が行方不明となった事故の原因はずさんな安全管理。
 鉄筋も使わず違法な増築を幾度も繰り返し4階建から8階建へ、建物の強度に問題を生じていた。事故前日の4月23日には既にビル全体に亀裂が発見されていたにもかかわらず、従業員の避難を許さず働かないと月給を払わないと脅し強制的に操業を続けていたのだ。
 違法建築にすし詰め状態、崩壊が始まっているのに給料を盾に避難を許さないと脅す。この崩壊事故は、生産量をひたすら上げることを最優先にした結果、安全管理も従業員の避難もすべて蔑ろにされた結果である。

3.転機のワークショップ

 私が「ラナプラザの悲劇」を知ったのは、実はこの授業よりももっと前だった。
 大学1年生の夏頃、私は後に所属する研究室の先生が開催したワークショップに参加した。たしか「ファッション業界の未来」についてのワークショップだったと思う。当時の私は服飾を学ぶか、この先生が教えるデザインプロデュースを学ぶか悩んでいたところだった。
 このワークショップで先生が見せた映像。「ラナプラザの悲劇」、この服を着ないでほしいと訴える少女、化学染料で汚染された川、1時間で100着も作られる現実、「服は私たちの血でつくられている」という言葉。安価な商品を作るための裏側にある劣悪な労働環境や自然破壊。自分の身の回りのもののルーツについて初めて関心を持ち、予想だにしていなかったあまりにも重い現実に衝撃が走った。
 『明日、何を着よう。』『どんな服を買おう。』
 このワークショップをきっかけに、そういったことを真剣に考え始めた。
 このワークショップで得た知見や思いが、その後デザインプロデュースを学ぶことを決意し、この先生の研究室を選んだ大きな要因だったと感じている。

4.消費に対する思い

 ワークショップをきっかけに、私の消費に対する思いは確実に変化した。
 というのも、長く使い続けられるものか、自分以外に使う人はいるかなどを意識して買うようになったし、それまで何も考えていなかった商品が自分の手に入るまでのルートを意識するようになった。
 服を買う時だけでなく、その他のモノを買う時にも、なるべくゴミが少ない商品を選んだり、すぐに食べるものだったら賞味期限に近いものを買ったりするようになった。

『エシカルな消費ができること』が自分の人生の選択を行う中での一つの軸になった。

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