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書字障害の診断で救われた僕の話

思考の整理

僕が書字障害と診断を受けたのは小学3年生の時。
2013年に検査を受け「DSM-5」より前だったので「広汎性発達障害」と診断を受けた。
その時に一緒に「ADHD」「LD(書字障害)」の診断もついた。

実はもっと前に書字障害の疑いありと言われていたらしい。
僕は脳性麻痺の影響で文字を書くときに手が震えてうまく書けなかったり、枠内に文字を収めることができなかった。
本来それは脳性麻痺により手の不自由さに収まるのだが、リハビリの先生から「この子の文字の書き方的にもしかしたらLDがあるかもね」と言われていたらしい。

自覚したのはいつ頃かというと小学校1年生の3学期。
この時期から丁度漢字の学習が始まった。
最初は漢数字から。
一、二、三は難なく覚えることができた。
でも四が全然覚えられないことに気づいた。
厳密に言うと書いた一瞬は覚えられるのに、数分後には忘れてしまう。
同じ漢字ドリルを使って勉強しているのに、なんで僕だけ覚えられないんだろうと思った。
それを親に相談したら、「頑張って暗記しよう」と言われて、宿題の倍以上の漢字ドリルを毎日暗記することになった。
僕も頑張ろうと思った。
でも何百回書いても覚えられない。
書く回数を増やしたからか、記憶は5分持つようになった。
でもやっぱり5分後には忘れてしまう。
そうして忘れると親から怒鳴られるようになった。
「他の子は覚えられるのになんであんた覚えられないの!」
その時の顔はすごく悲しそうだったのを覚えている。
それでも覚えられなくて、そしたら今度は叩かれるようになった。
なんとか覚えないとと思って過呼吸になりながら、暗記してた。
この時点では母からの言葉も相まって「自分が怠けているだけなんだ」「他の子と比べてダメなやつなんだ」と感じた。
そうして何回も何回も同じ字を書いているうちに文字を書きすぎて(半ばパニック状態)手から血が出た。
その時に母は「ここまでして書いても覚えられないなら何か別の要因があるのでは?」と感じたらしい。
そこから漢字の強制は無くなった。
そして担任の先生に「漢字を書くことが辛い」と言うことを相談した。
僕が肢体不自由学級にいたこともあって、漢字ドリルのマスメを大きくしてもらったり、書く回数を増やしてもらったり等の合理的配慮を受けさせてもらえた。
周りの友達もそれを責めるのではなく一つの個性として受け止めてくれた。

だから自分の中での比較対象がなくなり自分を責めることも無くなった。
でも相変わらず漢字が書けないのは自分が絶望的に馬鹿だからだと思っていて、「漢字が馬鹿なら他を頑張ろう」と思って算数をめちゃくちゃ頑張ったのを覚えている。
馬鹿だとは思っていたけれど、馬鹿にしてくる人がいないので楽ではあった。

そこから月日が経ち小学3年生になった時に「馬鹿なのではなく、障害の一種である」ことを伝えられた。
そこでようやく自分が「書字障害」であるこを自覚することができた。
障害を知らなければ、診断されなければ「自分がダメなだけだと思ってしまうし」他と比較された時に「しょうがないやん障害があるっちゃっけん」と開き直ることができず、自責してしまう。
だから本当に書字障害を自覚したのは診断された瞬間でそれまではただの馬鹿だと思ってたなー。


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