二十六夜 解説

解説
 
宮沢賢治に関して。
 1896(明治29)年-1933(昭和8)年。岩手県花巻市出身。童話作家。熱心な日蓮宗徒。パトグラフィーの研究対象となることが多い。
宮沢賢治 参考URL
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB
 
作品「二十六夜」に関して。
 作品「二十六夜」は1921(大正10)年頃に書かれたと言われる。宮沢賢治は何度も東京を訪れているが、この作品は東京にいた頃に書かれた可能性が高い。
宮沢賢治作品の英訳者として著名なロジャー・パルバース氏に確認したところ、彼が知る限りこの作品はまだ英訳されていないとのこと。
 
梟に関して。
 夜行性。不苦労、福老とも。西洋では哲学者、東洋では親不孝者の象徴。
 哲学者は僧侶のイメージ、親不孝者のイメージは穂吉に通底するのだろうか。
 普段はおとなしいが繁殖期には攻撃的になる。繁殖には洞窟が適する。この物語ではお経を聞く時にだけみんな出てきたのだろうか。
 
P.1
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
 
物語の日付に関して。
旧暦六月二十四日 1921(大正10)年と仮定する。 
旧暦1921/大正10 06/24(大安)
新暦1921/大正10 07/28(木曜)
旧暦年干支:辛酉
新暦年干支:辛酉
日の干支 :壬辰
 だが月齢からすると月の形が船のようになるのは1922年(宮沢賢治26歳)か。
月齢 参考URL
https://www.calc-site.com/calendars/moon_age
 
物語の舞台に関して。
舞台は猊鼻渓とみなす。
一般に、舞台は北上川沿いの台地とされる。その説明をする碑もある。この地の由来は獅子ヶ鼻城にあるが、この城ははるか昔に失われている。この一帯と獅子ヶ鼻がある猊鼻渓それぞれを実際に訪れて比較すると、物語の舞台はじつに猊鼻渓の雰囲気に近いことがわかった。
 猊鼻渓と北上川河畔を比較すると以下のように異なる。まず、獅子鼻として突起するものが北上川河畔には見当たらない。北上川には杉が見当たるが松は見当たらない。猊鼻渓には松が多い。
 また、猊鼻渓はほとんど流れがなく水面にアメンボがたゆたうくらいだ。したがってきわめて静かで、魚の跳ねる音がはっきり聞こえた。対して北上川は魚の跳ねる音が聞こえやすいという状況ではない。
 作品中で「北上川」と表現したのは、その支流の砂鉄川を指したのではないか。
 さらには梟の繁殖に適する洞窟が北上川沿いの台地にはまったく見当たらない。
 以上より、本作の舞台は猊鼻渓とみなして作画を行った。
また、本作品を動画コンテンツ化しているが、その音楽としても、げいび追分を使った。これは猊鼻渓の川下りに際して船頭が歌う舟歌である。
猊鼻渓 参考URL
http://www.geibikei.co.jp/funakudari/history/
 
獅子鼻に関して。
 獅子鼻は岩手県一関市の猊鼻渓にある。猊鼻渓は獅子ヶ鼻からきた名称である。
 他県にも獅子ヶ鼻公園などがあるが、作品内で北上川を示していることからも、猊鼻渓で間違いないだろう。
 猊鼻渓が、名勝保存の指定を受けたのは1924(大正14)年である(宮沢賢治28歳)。明治以前は、絶対の秘境とされていた。同じ村に住んでいて、その処を知らぬ人さえ、かなりあったと伝えられている。
 佐藤猊巌は猊鼻渓の開発を唱え、文人墨客を招いた。その中に宮沢賢治も含まれていた。
 この作品の時代設定が不明ではあるが、梟だけの秘境だったのか、人間も来るようになっていたのか、微妙なところだ。
 猊鼻渓を流れるのは北上川の支流砂鉄川である。北上川のほうが一般的に知られているため、わかりやすいように砂鉄川としなかったのかもしれない。この作品はおそらく宮沢賢治が東京で書いたと考えられる。東京では砂鉄川が知られておらず、北上川ならば知られており説明しやくいと考えた可能性がある。
 
P.2
無題 Untitled
2022年
切り絵、Illustrator CS6 Cutout, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
今の時代に作っているため、共通イメージとしてウクライナの国旗をグレースケールに変えて透明度を調整したうえで最前面のレイヤーに配した。残酷な悲劇の予兆である。
これは各人間が膝を抱えて松の枝にしゃがんでいるシルエットである。
 
P.3
無題 Untitled
2022年
ガッシュ、紙 Gouache, paper
21.0×29.7cm
 三匝(さんそう) を表現した。仏語で、礼式の一であり、仏に対して右まわりに三回まわること、また、その作法を意味する。
 
P.4
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
擬人化している。本作では梟を擬人化して表現した。
 
P.5
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
螺や蛤を擬人化した。この作品では意図的に性的な表現を多くしてある。宮沢賢治は童話作家であるため、もちろん性的な表現を一切排している。だが、その隠された部分を故意に表現すると、この物語の真意が現れる。
 
P.6
無題 Untitled
2022年
Illustrator CS6
21.0×29.7cm
黒のみ。
 
P.7
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
 
汽車に関して。
宮沢賢治は汽車に特別な思いがあったのか。本文中、汽車に関する記述が多くある。
 「しばらくたって、西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました。」
「その音は、今度は東の方の丘に響いて、ごとんごとんとこだまをかえして来ました。」
「林の中はまたしいんとなりました。さっきの汽車が、まだ遠く遠くの方で鳴っています。」
「前の汽車と停車場で交換したのでしょうか、こんどは南の方へとごとごと走る音がしました。」
「なんだか車のひびきがたいへんおそく、貨物列車らしかったのです。」
「今夜ももう一時の上りの汽車の音が聞こえて来ました。」
「その音を聞くと梟どもは泣きながらも、汽車の赤い明るいならんだ窓のことを考えるのでした。」
「そして汽車の音がまた聞こえて来ました。」
 銀河鉄道の夜は岩手軽便鉄道沿線をモデルにしたという説があるが、本作も同様だろうか。岩手軽便鉄道は猊鼻渓から60km程度北を東西に走っていた。本作では汽車が南北に走っているようであり、合致しない。
現在の猊鼻渓駅は大船渡線である。東北本線は南北に走り、ドラゴンレール大船渡線は東西に走る。大船渡線は1925(大正14)年から1934(昭和9)年にかけて全通した。宮沢が旺盛に創作活動を行ったのは1926(大正15)年までという説がある。この年は宮沢が花巻農学校をやめ、羅須地人協会をつくって、自ら農耕に従事しながら農民の友として稲作活動や肥料設計の仕事に打ち込んだ年である。とするならば、大船渡線は意識されなかったのではないか。
 東北本線は猊鼻渓の西を南北に走っている。位置関係が合うのではないか。また、上りを意識しているということは、都会を意識しているということであり、上野行きに乗りたいということではないだろうか。以上より、この汽車は現在で言う東北本線を意味している可能性が高い。
 1880(明治14)年、日本初の私鉄「日本鉄道会社」が設立された。1906(明治39)年11月1日に日本鉄道が国有化された。ちなみに日本国有鉄道が発足したのは1949(昭和24)年であり、宮沢賢治存命中のことではない。
 宮沢賢治(当時25歳)は1921(大正10)年1月23日に突然上京しており、当然ながら東北本線を利用したであろう。これは二十六夜が書かれたと言われる年である。同年8月中旬、妹トシが喀血との報を受け、大トランクに原稿を詰めて急遽帰宅するが、上京中に旺盛な制作活動を行ったようで、そのうちの一つが二十六夜かもしれない。また、以上より上京の憧れを以前から持っていたと思われ、その視線により汽車をあこがれや希望の象徴として登場させた可能性がある。
 レールの国産化は1907(明治40)年である。車両は、1911(明治44)年に国産成功後、貨物機、旅客機ともに国産されている。1913(大正2)年に完成した9600形は貨物用テンダー機関車である。貨物機は、1923(大正12)年に大型のD50形(軸配置1D1・出力1280馬力)が完成している。旅客機では、1919(大正8)年にC51形(軸配置2C1)が完成した。宮沢賢治が見ているであろうこれらを参考にして描画した。
 
P.8
無題 Untitled
2022年
ペン、ガッシュ、紙 Pen, gouache, paper
21.0×29.7cm
「食べる」という意味。
 
P.9
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
汽車。先程より左側に進行している。
 
P.10
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
六千由(ゆ)旬(じゅん)を表現。由(ゆ)旬(じゅん)とは古代インドにおける長さの単位である。牛に車をつけて1日引かせる行程のこと。通常1由(ゆ)旬(じゅん)を約7~8kmとする。したがって六千由(ゆ)旬(じゅん)=42000~48000kmである。
上空が気になる牛を下から見上げた。空には疾翔大力が飛ぶ。
 
P.11
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
鱒を表現。
 
P.12
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙、Illustrator CS6 Pencil, gouache, paper, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
飢饉を表現。
 
P.13
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
雀。
 
P.14
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
雀が梁から下を覗き込む。
 
P.15
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
雀が飛び降りる。
 
P.16
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
雀焼き。
 
P.17
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
松の木を表現。
梟は木の枝で待ち伏せて音もなく飛び、獲物に飛び掛かることから「森の忍者」と称されることがある。フクロウ類は羽毛が非常に柔らかく初列風切羽の先が細かく裂けていることから羽音を立てずに飛行することができるのである。そのため、ここで「ばたばた鳴って」と記述されているのは誇張表現である。
 
P.18
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
汽車。先程よりもさらに左側に進行。
 
P.19
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
月を表現。2022年のこの日に花巻市で見た月もまさにこのような形だった。
 
P.20
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
逆さ十字を表現。やんちゃな兄弟ではなく穂吉を逆さ十字にした。今後の悲劇を予感させる。
 
P.21
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
 P.20と同様。
 
P.22
いずれ死ぬ
Someday everyone will die.
2018年
鉛筆、紙
Pencil, paper
36.4×25.9cm
 母親のアップ。
 
P.23
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
 
穂吉に関して。
 この作品をビジュアライズする際に説明が不十分な点を補わなければならなかった。例えば兄弟の中でなぜ穂吉だけが人間に捕らえられたのか。穂吉は他の兄弟と明確に異なる特徴があるために人間の子供に捕らえられたはずだ。穂吉だけがメスで目立ったからではないのか。原作中で穂吉はオスであると明記されていない。
 「穂吉どの」と呼ばれているが、これはトランスベスタイトだったためと考えた。そのためぼくと自称しても不思議ではない。
 以上より、穂吉を以下のように想定した。穂吉はトランスベスタイトの男装アイドルだがじつは女子。通常は野生動物であるため全裸。人間の子供に誘拐されてその子の親が営業するソープランドに売られるのだが、じつは穂吉自身が性に興味があることに初めて気づく。サイト用の写真撮影も乗り気でまんざらでもなかったのだが、処女であったため激痛に耐えられず客を突き飛ばして怪我をさせてしまう。そのために解雇される。営業者は穂吉を誘拐してきた子供を叱責し、子供は腹いせで穂吉の足を折った上で捨て去る。
 さらには、いつも被害者は女子供なのだ。いつまでこんなことが続くのかという意味もこめての設定である。
トランスベスタイト 参考URL
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E6%80%A7%E8%A3%85
 
P.24
無題 Untitled
2022年
ガッシュ、ジェッソ、紙 Gouache, Gesso, paper
21.0×29.7cm
スパッタリングによる天の川。
 
P.25
無題 Untitled
2022年
筆ペン、紙、GIMP2 Brush pen, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
向かって左に爾迦(るか)夷(い)、中央に疾(しつ)翔(しょう)大力(たいりき)、右に波(は)羅(ら)夷(い)である。これら宮沢賢治創造の三尊は、本作では一般的な阿弥陀三尊として、揶揄をややこめて多少雑に表現した。
 
P.26
無題 Untitled
2022年
筆ペン、紙、GIMP2 Brush pen, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
疾(しつ)翔(しょう)大力(たいりき)をアップ。
 疾(しつ)翔(しょう)大力(たいりき)は捨身菩薩、弥勒菩薩とも呼ばれる。身長は十丈。丈は、中国や日本の伝統的な長さの単位である。1丈は10尺と定義されている 。日本では明治時代の尺貫法で1尺=10/33m=約0.303 030 m=303.030 mmと定義されたため、1丈は約3.0303メートルである。以上より十丈=30303mm=約30mであり、最大の生物シロナガスクジラとほぼ同等である。30mはオフィスビルであれば7~8階建て、マンションだと10階建て程度に相当する。
 
P.27
無題 Untitled
2022年
Illustrator CS6
21.0×29.7cm
現代の共通認識として、残虐さ=ロシア=黒、ウクライナ=被害者=灰色として表現した。
 
P.28
無題 Untitled
2022年
ガッシュ、紙 Gouache, paper
21.0×29.7cm
楢の木を表現。
 
P.29
無題 Untitled
2022年
鉛筆、紙、GIMP2 Pencil, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
坊さんは宮沢賢治をモデルとして、彼がもしも高僧であったならと想定して描画。日蓮宗の最高僧の法衣を身に着けている。
ある日蓮宗の寺で取材させていただいた際に、日蓮宗新聞に掲載された菅野日影管長の写真を見せていただいた。その法衣を参考にイメージを作った。
 
P.30
無題 Untitled
2022年
Illustrator CS6
21.0×29.7cm
にらめくらを表現。ルビンの壺を模しており、黒部分は向き合う二人の兄弟のまぬけな顔、白部分で穂吉の体のラインを表現。
 
P.31
無題 Untitled
2022年
メディア
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
P.23を縮小。
 
実相寺の林に関して。
後に穂吉は「いつも人の来るようなところではなかった」ところで捕えられている。その前に兄弟が実相寺の林へ行くよう誘っている。その際に穂吉は誘いを断っているが、誘われたのは夜(月がのぼっている時間)、捕えられたのは朝日がまぶしい時間(日の出)である。では、実相寺とはどこなのだろうか。猊鼻渓から梟が数時間で飛んでいけるところだろう。岩手県花巻市実相寺という地名があるが、ここなのだろうか。猊鼻渓から直線距離で40km前後だ。この時間に梟が飛ぶことができる時間なのだろうか。また、兄弟はなぜ実相寺の林に行きたがったのだろうか。何か魅力があるのだろうか。餌か?
現在、岩手県内の寺で実相寺は三ヶ所ある。九戸郡軽米町にある実相寺は曹洞宗である。だが、さらに遠い。猊鼻渓から直線距離で150km前後であり、現実的ではない。二戸郡の実相寺(浄土宗)は、直線100km前後。紫波郡の実相寺(曹洞宗)は、直線60km前後。ちなみに宮沢賢治は日蓮宗であるため、他宗派の寺などを作品に使用するとは考えにくいのだが、どうだろう。
宮沢賢治の出身が花巻市であることと距離から考えて、実相寺の林は岩手県花巻市実相寺である可能性が高い。
ただし、兄弟梟が言ったことをそのまま受け取るべきかどうかも難しい。子供の言うことなのだから、行けないところであっても口先だけで行きたいと言いかねない。とはいえ、よく遊びに行くところだから実相寺の名が出たと考えることはもちろんできる。穂吉が捕えられたのが実相寺なのかどうかは不確実である。
以上より、特定できない点があるため、実相寺はビジュアライズしていない。
 
P.32
無題 Untitled
2022年
Illustrator CS6
21.0×29.7cm
赤い目を表現。これは実際に結膜炎で真っ赤になった目である。
 
P.33
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
父親の後ろ姿を表現。野生動物のため裸。
 
P.34
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
囚われの身となった穂吉。ジャン=レオン・ジェロームの「アレオパゴス会議のフリュネ」を参考にした。いわゆる奴隷のポーズである。
アレオパゴス会議のフリュネ 参考URL
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%8D
 
P.35
いずれ死ぬ
Someday everyone will die.
2018年
鉛筆、紙
Pencil, paper
36.4×25.9cm
P.22を拡大。
 
P.36
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
太陽に目がくらむ穂吉を表現。
人間の子供の実家はソープランドである。穂吉を捕獲して親に渡し、親は穂吉に売春を強要する。
 
P.37
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
紐で縛られた足を表現。紐は緊縛用ロープを参考にした。ここではロープが張っており、足が抵抗している。
紐が右足から左足に変わり色が赤だという説明があった。これは、穂吉がクビになることを示しているのではないだろうか。
 
P.38
無題 Untitled
2022年
鉛筆、木炭、ガッシュ、紙 Pencil, charcoal, gouache, paper
21.0×29.7cm
猫と足を表現。猫は足元から臼の上にいる穂吉を狙う。「猫はいない」という報告があったが気休めだろう。
 
P.39
無題 Untitled
2022年
Illustrator CS6, GIMP2
21.0×29.7cm
穂吉は風俗業界に勤務させられた。
梟のおじいさんは、穂吉の父方の祖父。食品会社会長。
 
P.40
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
紐で縛られた足を表現。ここではロープが緩んでおり、足が抵抗していない。
 
P.41
One dead Japanese
(一人が死ぬだけで大変なのに戦争で大量虐殺したがる者の気が知れない)
(Even if one person dies it is hard, I can not understand
the mind of people who want mass genocide in the war.)
2017年
鉛筆、紙
Pencil, paper
36.4×25.9 cm
 穂吉の父親。食品会社社長。「目のまわりの赤いくまもはっきり見え」たことから、経営難により疲れ気味。もしも穂吉の身代金を要求されたとしても払えなかった。ちなみに、通常は野生動物らしく全裸で、接客などの際に着る服はスーツしかない。
 
P.42
無題 Untitled
2022年
パステル、紙 Pastel, paper
21.0×29.7cm
父親を呼び止める母親の手。
 
P.43
無題 Untitled
2022年
鉛筆、紙、GIMP2 Pencil, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
高僧としての宮沢賢治。
 
P.44
無題 Untitled
2022年
筆ペン、紙、GIMP2 Brush pen, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
爾迦夷。
 
P.45
無題 Untitled
2022年
GIMp2, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
心身ともに引き裂かれる様。
 
P.46
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
螺や蛤を擬人化。
 
P.47
抽象夜明け前
Abstract - predawn
2013年
アクリル、ポスターカラー、紙
Acrylic, poster color, paper
53.0×39.0 cm
 悪業のイメージ。
 
P.48
Life is very short.
La vie est très courte.
2013年
メゾチント、GIMP2  Mezzotint, GIMP2
15.8 x 9.1 cm
夜叉の嫌な感じを強調するために一部をコピー&ペーストした。
 
P.49
無題 Untitled
2022年
Illustrator CS6, GIMP2
21.0×29.7cm
風俗業界の穂吉。
 
P.50
いずれ死ぬ
Someday everyone will die.
2018年
鉛筆、紙 Pencil, paper
21.0×29.7cm
P.35を拡大。
 
P.51
Heart
Occupies
My
Emptiness
2017年
檜板、ジェッソ、鉛筆、金粉、パステル用スプレー
Cypress board, gesso, pencil, silver point, gold powder, pastel spray
49.6×49.2cm
楽しい気分を表現。二人でハートマークを作りあげる。
 
P.52
無題 Untitled
2022年
ガッシュ、紙 Gouache, paper
21.0×29.7cm
抽象形態。不安を助長する。
 
P.53
無題 Untitled
2022年
ペン、紙、GIMP2 Pen, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
梟のデッサンを複数使用。
 
P.54
真夏の夜の悪夢
A Midsummer Night’s Nightmare
2017年
アクリル、紙
Acrylic, paper
39.0×53.0cm
霧のようなものを表現。
 
P.55
無題 Untitled
2022年
ガッシュ、ジェッソ、紙 Gouache, Gesso, paper
21.0×29.7cm
天の川。P.24から少しずれて時間の経過を表現。
 
P.56
無題 Untitled
2022年
パステル、紙 Pastel, paper
17.0×25.2cm
横たわる穂吉。適切な医療措置が施されていない。宗教による解決を画策しているのだろうが、結局宗教には何もできていない。このような事態で必要となるのは宗教ではなく医療等より直接的かつ現実的な対処であるはずだ。物語全体に通じるのは、宗教の無力感である。
 
P.57
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙、Illustrator CS6 Pencil, gouache, paper, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
穂吉の横顔。
 
P.58
無題 Untitled
2022年
パステル、ガッシュ、紙 Pastel, gouache, paper
21.0×29.7cm
フロッタージュで萱を表現。
 
P.59
無題 Untitled
2022年
筆ペン、紙、GIMP2 Brush pen, paper, GIMP2
メディア
21.0×29.7cm
恨むなというメッセージを書き言葉で表現した。このメッセージを最も強調したい。恨むことがなければ、おそらく有史以来一日たりとも途切れないといわれる世界中の紛争、戦争などが行われてはいなかったはずだ。人類がいつまでも実現できない高い理想を提示されて、我々はどうすべきか。孫や娘や推しが被害を受けて、それでも恨まずにいられるだろうか。だがしかし恨んではいけないのだ。それができるか? どうだ? 読者に突き付けられているのだ。
 
P.60
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙、Illustrator CS6 Pencil, gouache, paper, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
穂吉の横顔。
 
P.61
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
男一人を表現。野生動物のため裸。丸出しで偉そうなことを言っても説得力はないと嘲笑されるだろう。
 
P.62
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
男三人を表現。いずれもアイドル穂吉のファンであるため、過激な発想となる。推しが瀕死の重傷だというのにブチ切れないファンはいない。
 
P.63
無題 Untitled
2022年
鉛筆、紙、GIMP2 Pencil, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
高僧としての宮沢賢治。
 
P.64
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙、Illustrator CS6 Pencil, gouache, paper, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
穂吉の横顔。のけぞる。
 
P.65
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙、Illustrator CS6 Pencil, gouache, paper, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
穂吉の横顔。起き上がろうとする。
 
二十六夜に関して。
 二十六夜とは二十六夜待ちのことを指す。旧暦7月26日の月を見る行事だったのが二十六夜待ちである。江戸時代、全国各地で行われた行事で、とくに有名だったのは江戸・高輪から品川あたりの海辺の高台。人々は料理屋や神社の境内に集まったり、観月用の船を出しては、飲めや歌えで月の出を待った。この夜の月は遅い時刻に上がる。昼間の暑さとはうって変わって心地よい夜風が吹くなか、酒のつまみは、江戸前でとれた蟹や蝦蛄、そして茄子や胡瓜などの夏野菜を一口大に切って水に浮かべた水物などだった。上がってくるのは細い弓形の上限の月。水平線から顔を出す一瞬、月の船の上に観音・勢至の両脇侍を従わせた阿弥陀如来の姿が見えるという。宴に疲れ、眠い目をこすりながら待っていた江戸の人々はこの出現にざわめきたったらしい。
 
P.66
無題 Untitled
2022年
Illustrator CS6
21.0×29.7cm
秋の虫。
 
P.67
無題 Untitled
2022年
鉛筆、紙、GIMP2 Pencil, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
高僧としての宮沢賢治。
 
P.68
無題 Untitled
2022年
鉛筆、紙、GIMP2 Pencil, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
爾迦夷。
 
P.69
無題 Untitled
2022年
鉛筆、紙、GIMP2 Pencil, paper, GIMP2
21.0×29.7cm
疾翔大力。
 
P.70
無題 Untitled
2022年
GIMP2, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
心身ともに引き裂かれる状態。
 
P.71
ETERNAL INVERSE CHILD
2019年
鉛筆、紙、Illustrator CS6 Pencil, paper, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
アニメーションの一コマを引用。
 
P.72
無題 Untitled
2022年
GIMP2
21.0×29.7cm
抽象表現。
 
P.73
無題 Untitled
2022年
Illustrator CS6
21.0×29.7cm
太陽光線のイメージ。
 
P.74
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
汽車。さらに左側に進行。
 
P.75
ETERNAL INVERSE CHILD
2019年
鉛筆、紙、Illustrator CS6 Pencil, paper, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
アニメーションの一コマ。輪廻転生を表現。
 
P.76
無題 Untitled
2022年
鉛筆、紙、Illustrator CS6 Pencil, paper, Illustrator CS6
21.0×29.7cm
秋の虫と月。
 
P.77
無題 Untitled
2022年
鉛筆、紙 Pencil, paper
21.0×29.7cm
月から噴出すもの。ここで三尊が現れたとするのは集団ヒステリーによる幻覚ではないかとする説がある。
 
P.78
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
穂吉が仰向けのまま空に手を伸ばす。穂吉は起き上がることができない。さらには、見物客が穂吉の前に大勢並んでいるであろうことから、穂吉自身は三尊を見ることができなかった。そのためにここでは三尊を描いていない。
 
P.79
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
穂吉が空に向けて合掌する。
 
P.80
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
疾翔大力の手。
 
P.81
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
 穂吉昇天。
 
P.82
無題 Untitled
2022年
鉛筆、ガッシュ、紙 Pencil, gouache, paper
21.0×29.7cm
汽車。
 
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pastelworkiu@gmail.com
 必要に応じて、解説内でお答えします。
解説URL
https://note.com/pastelwork/n/nb936270315d2
 


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