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コーヒー日記㉗~『物』はなくなっても『文化』は残る~

先日、コーヒーに関する面白い記事を読みました。

この記事を読んで思ったことが、タイトルにもある通り、「コーヒー文化は、人類が続く限りこの先もずっと残っていくのだろうな」ということです。

コーヒー文化の歴史

コーヒーの起源は諸説あって、ぼくも専門家ではないので細かいことは分かりません。

ですが、起源として広く知られているものとして、「ヤギ飼いのカルディ」という伝説があります。
まずは概要を以下に示します。

6世紀頃、エチオピアの高原にカルディという名のヤギ飼いがいた。カルディは、世話を任せられているヤギたちが茂みにあった赤い木の実を食べると、元気になって踊りまわるのを見た。カルディがこの話を近くの修道院の院長に話すと、院長はその事実を確かめるため、自分でも食べてみることにした。すると、頭がはっきりし、気分も浮き立つ。そこで彼はこの実を煮出した汁を修道士たちに飲ませることにした。おかげで、彼らは夜通し礼拝を続けられるようになったという。

井崎英典.世界のビジネスエリートは知っている教養としてのコーヒー(p.20)

文化の一般的な定義は、「社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体」なのですから、「ヤギ飼いのカルディ」の話ってもう、「コーヒー文化」といえませんか?

つまり、この伝説が本当なのであれば、6世紀頃にはコーヒー文化があったということになります。

そこまで長い文化をもつ嗜好品が、その原料が採れなくなったからといって完全になくなるとは考えにくい。そう思うのです。

リハビリは、元々は「人を癒す」という文化

視点を広げると、ぼくたちが日々行っている様々な行動も、その多くは「文化」だといえそうです。

ぼくの職業である理学療法士だって、乱暴な言い方をすれば「人を癒す」という文化なのだと思います。

よくぼくたちの間では、「理学療法士として、なんとか生き残らなくてはいけない」という話が飛び交いますが、それは上記の話でいうと「コーヒー豆」と同じだと感じます。
理学療法士、という存在自体は時代や環境によって変化するものです。なくなるかもしれないし、なくならないかもしれない(いや、ぼくはなくならないとは思っていますが)。
それどうのこうの抗ってもしょうがないのではないか、と思うのですね。
「理学療法士」という存在、概念に固執するのではなくて、文化的視点で考える。

そう考えることで、ぼくたちがとるべきアクションは、より明確に、柔軟になっていくのだと思います。


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