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”論語と医療” ~論語と算盤を医療現場に応用する考え方~

”論語と算盤”は私の愛読書である。渋沢栄一氏が”論語”をなめるように読み、様々な事業を成功させたように、”論語と算盤”の考えを応用して医療現場をより良い環境にできるのではないか。そんな思いから、私の考えを簡潔に述べたいと思う。

”論語と算盤”と”臨床と研究”

まず、”論語と算盤”というタイトル。私はこの本を読んだ時、まさに”論語と算盤”とは医療従事者でいう”臨床と研究”だなと思った。
本書は、『商人には道徳は必要ない』という従来に考えに対し、道徳教育の必要性を訴えている。これは、『臨床家だから研究はする必要ない』という考え方に対して、臨床研究の必要性を訴えることと似ているのではないだろうか。そして、”臨床と研究”、その双方に励んで初めて、医療従事者として、渋沢氏のいう”完き人”に近づけるのではないだろうか。
そう感じた一方で、本文にはこんな一節がある。

医療に従事されている皆さんも、収容されている患者の方を自分の研究の材料などと思っていられるなら、それはまったく許せない話になってしまう。研究というのも程度問題なので、絶対に悪いとはいわないが、医療関係のみなさんは患者を治療するのが当面の義務だと考え、努力してほしいと望みたい。

この一節こそが、”臨床と研究”を両立させる難しさを表しているといえる。私が思うに、著者の渋沢氏は、『医療従事者は研究はせずに臨床だけに励めばよい』と述べているのではなく、『研究とは算盤(商売)と似ているところがある。研究ばかりにとらわれてしまうと、”道徳的な視点”で患者を診ることが難しくなってしまう』と述べているのではないか、と感じた。論語にもこんな一節がある。

「女、君子の需と為れ。小人の需と為る無かれ」
訳:自分の人格を磨く君子としての学者になりなさい。単に知識を誇り有名になりたがる小人的な学者になってはいけない

医療における研究とは、そもそもは患者さんに還元するためであるはずである。しかし、研究者としての人格が備わっていないと、孔子のいう”小人の需”となってしまうだろう。これは、研究を行う者にとって常に心掛けていなければならない(無論、臨床家としても)。

”成功”と”失敗”とは

さて、上記のような道徳心を持ち備えていたとして、臨床家が研究を行う際に、「良い論文になったからIFのついた雑誌に投稿してみよう」など、高みを目指して努力することは当然あるだろう。もちろんそれはとても良いことである。だかこれまた当然、思うようにいかないこともある。”論語と算盤”にはこんな一節がある。

成功と失敗は、自分の身体に残ったカス

例え善人であっても、努力していても、臨床家・研究者として芽が出ないこともある。”論語と算盤”の中で孔子のこの言葉が引用されている。

人間であるからには、だれでも富や地位のある生活を手に入れたいと思う。だかまっとうの生き方をして手に入れたものでないなら、しがみつくべきではない。

だからまさに、『人事を尽くして天命を待つ』という精神で、まっとうな生き方、まっとうな努力をし、あとは天命に委ねる。これが全てではないだろうか。そして”成功”と”失敗”とは、その結果なのであるから、身体に残ったカスに過ぎないのである。

さいごに

私は現代語訳の”論語と算盤”を読んだため、原版とは異なる表現が含まれているかもしれない。ご了承いただきたい。また、何かご意見があれば、是非コメントをいただきたい。まだまだ論語の勉強を始めたばかりの身であるため、是非勉強させていただきたい。そんな訳で、最後はこの言葉で締めくくりたいと思う。

「丘や 幸なり。苟しくも過ち有れば、人必ず之れを知る」

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参考にさせていただいた本の紹介

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