行間が読めないのは誰の責任だ

最近流行りのTwitterでよく見かける言葉が「行間を読め」な気がします。
よく著名な方が意見を発してそれに対しての反対意見だったりバッシングがあるとその著名人は「行間が読めないからそういう解釈になるんだ」と言って怒ってます。
ちょっと前の僕もたしかに文章を読み取る力が無い人がその著名人の事が嫌いだからバイアスが掛かった見方をして炎上させてるんだ。と思ってました。
でもなんだか最近、それって本当か?って思ったりします。

今回はTwitterに限った話をしますが、140字の制限の中で意見を表明した際に受け取り手が100%気持ちを汲み取るなんて無理じゃないですか?
そもそもコミュニケーションってそんな簡単でしたっけ?
だからといって発信側がすべての批判を鵜呑みにするのはやるせないってのも分かります。制限の中でわかりやすく説明してるんだからそれくらい汲み取ってくれよって所でしょう。

つまりは、上手に説明できなかった発信側が悪い訳でも上手に汲み取れなかった受信側が悪い訳でもないって事です。

じゃあ何が問題なのでしょう。
大前提として、故意に炎上させようと湾曲した解釈をしたり、誹謗中傷の様な言葉選びをする事は論外だと思います。
その上で大事なのは"Twitterには本心は書ききれない"って全員が思っておく事だと思います。
その自覚が発信側も受信側も無いから一つの発言に目くじらを立てたり、そんな人に向かって「行間が読めないバカ」と言ってしまうのだと思います。
所詮はSNSですし、140文字の制限付き、まともなコミュニケーションが取れるという前提が間違ってるんだと思います。
テレビの炎上を見ても「本心はこうなんです」「編集でそう見えただけなんです」っていう釈明コメントを嫌というほど見てきました。
それもこれも制限付きのコミュニケーションの中で生まれた摩擦だと思ってます。

要するに何が言いたいかと言うと、
行間は"その人"が読めないのではなく"構造上"読めない。ということです。

たまにネットニュースやテレビなどでは活字離れが深刻化していると話題になり、本を読まないから行間を読めないのだと言ってる人がいますが、僕はめっちゃ本を読む時代の人達でもその時代にSNSがあったら同じような摩擦は生まれてると思います。
全て僕の感想ですけど。

幸いnoteは140字以上かけて僕の本心をしっかりゆっくり完全に書けるので僕の真意を理解してくれない「行間を読めないバカ」が居たらご一報下さい。
お詫びして記事を削除いたします。

それではおやすみなさい。

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