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#08 なぜ目的と手段が逆転するのか

自分たちが取り組んでいる事は、「目的」?それとも「手段」?

学校で共通で取り組んでいる施策ってたくさんあるよね。その一つ一つに対して、「目的」か「手段」か答えられるかな?ちょっと質問がいじわるだったかもしれないね。少し、変えてみるよ。

『何が「目的」で何が「手段」か答えられるかな?』

だったらどうかな?物事はストーリーで捉えると分かりやすくなるんだ。

では、具体例を挙げて考えていこう。「あいさつ運動」は「目的」「手段」どっち?(ちょっと考えて、自分なりの答えをもってから次へ進んでね。)

正解は「どっちでもある」だね。正しくは「目的」にもなるし、「手段」にもなるんだ。

ここで、ストーリーにして見ていこう。多くの学校で取り組んでいるあいさつ運動には、目的が設定されているはずだ。例えば、明るい学校(目的)にするために、あいさつ運動(手段)をしよう。ここでは、あいさつ運動は「手段」となる。しかし、活動を続けていくうちに、明るい学校にするという「目的」意識が薄まることがある。君はこんな光景を見たことがないだろうか?暗い表情で渋々あいさつ運動に参加している子。その子に対して「そんなあいさつでいいのか?もっと元気を出して、笑顔であいさつしないさい。」と叱咤激励する教師。この瞬間、子どもの中で、元気に笑顔であいさつすることが「目的」になるんだ。あいさつ運動することがゴールとなってしまう。(ちなみに、「目的」意識をもたせるには「どんなあいさつをすると学校が明るくなるかな?」と声をかけるよね。) 

なぜ、こんなことが起こるんだろう。実は「ある目的は、大きな目的において手段になる」んだ。これは、順序立てて見ていくと分かりやすいと思う。

①明るいあいさつ(手段)をする→②学校が明るく(目的)なる。

これは当初の流れだよね。でも、活動が始まったらもう一つ前の段階が見つかった。

⓪やる気がなく暗いあいさつ→①明るいあいさつ(目的)をする(手段)→②学校が明るく(大きな目的)なる。

この流れだと、⓪に対して①は目的になるよね。そして、①を手段として②の目的を達成しようとする。こうして、同じ「事」が目的になったり、手段になったりするんだ。

目的と手段が姿を変えることはよくあることだ。だからこそ、ぼくたちは、今、何が「目的」で、どんな「手段」で取り組んでいるのかを把握し続ける必要がある。

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