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大学生活4年間からふりかえるゲームライター「ぱソんこ」

筆者紹介:ぱソんこ(Twitter:@passonco)——VRとゲームを好む大学生。2016年11月にPANORA VRで翻訳記事を書き始め、同年12月にOculus Rift CV1 & Oculus Touchを購入したことによりVRレビュー記事を書くようになる。2018年にはIGN JAPANでゲーム記事を書き始め、2020年1月からは電ファミニコゲーマーにも寄稿。現在卒業研究を終えて新卒デビューまでのモラトリアムでできることを模索している。今後もゲームライター活動は続けたい。

この記事はゲームライター「ぱソんこ(Passonco)」が大学卒業記念に大学生活の4年間を振り返る自己紹介および自分語りとなっております。この記事を読めば「ぱソんこ」もしくは「渋谷 宣亮」の人となりが、なんとなく分かるかもしれません。

まえがき

ゲームライターのぱソんこと申します。私は新潟大学工学部の4年生で、卒研を終えて必修単位を取り戻したので無事卒業できそうです(ただし、卒業式は【noteのアルゴリズムに検知される流行性のVirus】の影響で中止となりました)。

さて、私は大学生のゲームライターとして3年半近く活動してきたので、私の大学生活はほとんどゲームライターの活動に費やしたといっても過言ではありません。2020年3月に大学生活を終えるにあたって、自分の振り返りを兼ねて「なぜぱソんこがゲームライターになったのか」「ぱソんこはゲームライターとしてなにをしたのか」についてお話します。

大学以前の話

大学生活の振り返りなのに大学より前の話をするのはアレですが、とりあえず書きます。

ぱソんこは幼稚園児の頃からインターネットに慣れ親しみ、おもしろフラッシュやニコニコ動画に没頭した日々を送っておりました。むろん、ビデオゲームも大好きでして、GBAを始めとして、GC、DS、Wii、PSP、3DS、ノートPCという任天堂中心のゲーム遍歴でした。

小学3年生ぐらいの頃からゲームクリエイターになる夢を抱いていたように記憶しています。私は絵を描くことが好きなのでグラフィック方面に興味がありましたが、自分の画力に限界を感じたのでプログラマーを目指すことにしました(この記事のサムネイルのアレは自画像です)。ただし大学生になるまでプログラミングを意図的に避けており、ゲーム制作系のフリーソフトやUnityを表面だけなぞるようなことをしていました。

また、中学生ぐらいの頃から4GamerとINSIDE、高校生ぐらいからGameSparkやAutomatonなどのゲームメディアを毎日読み漁るようになりました。そのため、このころからゲームメディアで働く(ゲームライターとして活動する)ことにも興味を抱き始めました。逆にファミ通など紙ベースのゲームメディアにはあまり興味を抱いておらず、友人が買ったファミ通を登下校の電車で読む程度でした(ファミ通以外の雑誌は生活圏で売っていなかった)。ちなみに、IGN JAPANと電ファミニコゲーマーが本格的に稼働し始めたのは私が大学生になってからです。

大学1年生のころ(2016~2017)

ゲームプログラマーになるべく家から電車で片道1時間半で通える新潟大学工学部情報工学科に入学しましたが、僕はプログラミングがめっぽう苦手であることが分かりました。後悔先に立たず。中学から高校のうちにプログラミングを避けていたため、入学前に自分の適正を見定められなかったのです。「大学に入ってからプログラミングを始めましたが、授業で覚えることができました」と言う人もいますが、そういう人はエリートです。

そのため、私は大学一年生の時点でプログラミングを学ぶ意欲が薄れたことに加え、大学のサークル活動として囲碁部と格ゲーサークルに入ったものの両方とも一ヶ月で行かなくなり、格ゲーサークルで見つけた友人(この人もサークルに行かなくなった)とひたすらゲームについて喋る日々を送っておりました。

転機が訪れたのは11月ごろです。高校生のからVRに興味を持っていた私はVRに関わりのありそうな人をTwitterでフォローしていました。ある日のこと、VRメディアのPANORAの代表である広田稔(Twitter:@kawauso3)氏が未経験歓迎のフリーライターを募集していました。早速Twitterで応募したあとにDMでやりとりがあって、私のスキルを鑑みて海外のプレスリリース記事(英語)の翻訳記事を担当することになりました。これのお陰で英語の文章を読むこと、ニュース記事として手早く翻訳するためにプレスリリースから必要な情報だけをまとめるなど、文章を読むスキルが身に着いたと感じています。慣れない言語を読むときの方が余分な情報をそぎ落としやすかったのかもしれず、逆に日本語のプレスリリースをまとめることは非常に苦手でした。PANORAの編集である花茂未来氏にもお世話になりました。

また、VRメディアで書くからには当然VRデバイスにも興味を持っており、当時は10万円以上したVRデバイスのうちOculus Riftを買いました。これによってVR系アプリのレビュー記事を任されるようになり、次第にVRゲームのレビュー記事を書くようになります。この経験が他のゲームメディアにゲームライターとして応募する際に実績となりました。ちなみにOculus Riftを選んだのは当時Facebook(Oculus)に所属してVRエヴァンジェリストとして活躍していたGOROmanこと近藤義仁氏がMikulusというOculus Rift専用ソフトを配布していたためです(VRカノジョの初音ミク版だと思っていただければいいです)。当時の私は未来を感じましたが、今となっては日本の古参Oculusユーザにとってノスタルジーの象徴と言えるかもしれません。

大学2年生のころ(2017~2018)

さて、大学二年生の私はより専門的にプログラミングを学ぶことになったわけですが、既にプログラミングに拒絶反応が出るような有様になっていました。しかし、大学一年の頃に知り合った友人が非常にプログラミングに適性のある方だったので、幾度となく助けてもらいました。言い方を変えればコピペです。

そうやって大学の授業をしのいでいた一方で、VRライターとしての全盛期は大学二年生でした。翻訳したニュース記事を書きつつ、VRゲームのレビュー記事を重ねるようになりました。一部企業案件もあります。

また、大学二年生の頃はイベントに沢山参加しました。TOKYO INDIE FEST、東京ゲームショウ、Unreal Fest Eastなどゲーム系のイベントにメディア枠として参加することの喜びを覚えました。一般枠より快適に好きな場所をめぐることができますからね。しかし、取材の作法を教えてもらうことはなく、ほぼアドリブで体当たりな取材を敢行していました。そのため、当時取材したゲーム開発者やテック系企業の方々に迷惑をかけたと反省しています。

とはいえ、意外な発見もありました。私はコミュニケーション能力が低い方という自認だったのですが、事前に取材対象について調べ一対一で専門的な事柄について尋ねて相手の話を引き出すことには長けていることに気が付いたのです。もしかしたら錯覚かもしれませんが。

人を対象とした取材は記事を書いた後も確認をとる為に連絡することもあって大変でしたね。中高生の頃に慣れ親しんだ著名なクリエイター(狼と香辛料の支倉凍砂氏)やTwitterで見かけるゲーム開発者と生で会えたのは刺激的でした。

人生で最も自分のコミュニケーション能力を引き出してレベルが上がった時期だと思います。

なお、2020年ではすっかりオタクの生態系に根付いたバーチャルYouTuber、VTuberは2017年頃から登場しはじめ、キズナアイ・電脳少女シロ・ミライアカリ・バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん、いわゆるVTuber四天王が揃った時期です(のじゃおじの正式名称をすっかり忘れていた)。VRメディアのPANORAは他メディアに先駆けてVTuberを取り上げていて、必然的に僕も世間一般的なブームより先に知っていましたが結果的に僕はそこまでVTuberにハマりませんでした。これが大学三年生のWebライター活動に影響することになります。

大学3年生のころ(2018~2019)

大学ではより専門的な授業が苦難として降りかかる一方で、授業の数は減っていったので家でゲームをやりこむようになりました。残念なことに三年生の頃はあまり取材に行けませんでしたが、在宅で済む取材(Facebookで香港の企業にコンタクト、取材先は消失済み)をやってたみたいです。

また、このころからPANORAはVRのテクノロジーやVRゲームからVTuberを中心に取り上げるメディアへと舵を切りました。そのため、VTuberにあまり関心を持てなかった私は自然とPANORAで担当する記事の数が減っていきました。そして、僕自身がVRライターからゲームライターとして活動の幅を広げたいこともあったため、偶然ライター募集をしていたIGN JAPANに応募しました。結果としては受かって書けるようになりました。この記事を見ている方はIGN JAPANの方から私を知ったのではないかと思います。ちなみにIGN JAPANで本名を出しているのは、本名を出した方が実績として証明しやすいと考えたためです。日本で一番若くMetacriticに掲載されてMetascoreを登録したのはほぼ間違いなく私でしょう。Metacriticに掲載される日本のメディアはIGN JAPANだけですから。IGN JAPAN編集部の千葉芳樹氏と今井晋氏にゲームレビューの基礎を教えていただき、誠に感謝しております。

そして、就活を意識し始めるのも大学三年生です。ゲームプログラマーを早々に諦めていた私はプランナー(企画職)志望として実績を作る為に、自作ゲーム開発に乗り出しました。プログラミングのできない私を救ってくれたのは、マウスだけで視覚的にプログラミングを組める機能を搭載したUnreal Engine 4でした。UE4自体は大学1年生の頃から触れていましたが、本格的に制作し始めて、完成?させたのが3年生のときだけなのです。

PANORAの取材のためにOculus Goを買っていた私は、Oculus Go向けにVRゲームを作ることにしました。経緯は以下のリンクに詳しく載っていますが、VRゲームを作った本当の理由は私が持っているPCはデスクトップなので展示会まで機材(PC)を持って行くことができないためです。Oculus Goは携帯型VRデバイスだから、これ持ってきゃ動くやんの精神ですね。

展示会としては銀座VR 2とデジゲー博2018の二つに出展、なんとデジゲー博では出展と取材を同時にこなしました。売り子(売り物はない)は友人に手伝ってもらいましたが、よくもまあこんな無茶したな俺。

また、インターンシップでセガとコナミに行きました。インターンシップのためにエントリーシートを書くと色んな気づきがあって楽しかったです。

そして、大学三年生の二月に取材を兼ねて新潟大学VRサークルの方々と一緒にハッカソンに出場し、優勝しました。大学生活をほぼ個人に費やしてきた私には、この経験が就活で「集団活動における役割」を語る上でかなり役立ちました。でもこの取材を記事にすることを放棄して逃げたのでPANORAの仕事をすることはありませんでした。仕事を宝利投げた私が悪いです。広田さま、花茂さま、誠に申し訳ございません。

大学4年生のころ(2019~2020)

就活の時期。ゲーム会社に一通り応募しました。詳細は以下のリンクの通りです。この記事はそこそこバズって今でも就活生の入り用な時期(年末から年明け、春にかけて)に閲覧数が増えています。

研究室に配属されて卒研に取り組もうとしましたが、僕の卒論のテーマが決まったのは10月~11月ぐらいです。最初はVRとクラウドゲーミングを組み合わせた研究をしようとしましたが、要素を詰め込み過ぎてまとまらなかったのでクラウドゲーミングの遅延の操作品質の実験をしました。自分としては仮説とは違った結果が出てしまい上手くいかなかったと感じていましたが、卒業研究の発表プレゼンでそこそこ評判が良かったです。

また、大学生活が忙しくなったはずなのにゲームライターとしての活動は3年生の時よりも増えました。就活のついでにTOKYO INDIE FEST 2019の取材に行き、内定先の会社からもらったチケットでTGS2019に行くも暇を持て余したのでついでに取材しました。たのしかった。CEDECにも行きました。おもしろかった。IGN JAPANに続いて電ファミニコゲーマーにも寄稿させてもらえるようになりました。電ファミニコゲーマーがドワンゴから切り離された直後に編集部にもお邪魔しました。サンケイビルでIGN JAPAN編集部にもお邪魔しました。

さいごに

私は学生ゲームライターとしてそこそこ充実した生活を送っていたなあと思う一方で、ゲームクリエイターを目指す学生としてはかなり問題があったかもしれません。ゲームライターがゲームクリエイターになって評判が良かった例は聞きませんし、僕自身が批評にばかり専念していたため創作活動の経験を十分に積んでいません。なんとなくゲーム会社には入れそうですが、自分が果たしてスキルを身に着けて能力を発揮できるのか心配であります。それと同じぐらい、新卒採用として自分を選んだゲーム会社が僕に何を見出したのかも気になるところです。

あとは書きなぐった(というか全部書きなぐっている)文章です。

私がゲームライターとして活躍?できたのはなぜでしょうか。IGN JAPANには私の他に大学生のライターが一人いましたが、学生のゲームライターはあんまり見かけません。端的に言えば、今のゲーム業界で情報を発信するのであれば文章よりも動画や生放送の方が手っ取り早く、文筆業に学生が集まりにくいのではないかと思います。とはいえ、私も個人ブログはほぼやっておらず、やっていた時期もゲームについては書いていなかったので、なんとなく適正があったとしか言いようがありません。とはいえ、中高生の頃からゲームメディアの熱心な読者であったことや、中学高校で図書室に入り浸る生活を送っていたお陰かもしれません(高校の頃は図書委員長になりました)。

反省としてこの記事をここまで読んでいただいた方は察しているかと思いますが、僕は文章を長くダラダラと書く傾向にあります。なるべく文章を削って本質を磨くことが目標です。そのうち自分の文体特集も書きたいですね。

また、私はいきなり商業デビューしたので自主的にブログ記事を書くのが苦手です。ゲームをプレイする際も趣味なのか仕事なのかでモチベーションがやや違うことも実感しています。

個人的に一番懸念しているのは、2020年4月に社会人デビューした後もゲームライター活動を継続できるのかということです。ゲームメディアの方々からは「企業に入っても寄稿はできる」とは言われますが、ゲーム会社側がそれを許可してくれるかはわかりません(ゲームライター活動を実績として就活していたので、もちろんバレています)。

個人的には、ゲームライター活動というかゲームを考察して文章に残すことはライフワークになっているので、企業に入っても営利活動に差しさわりのない範囲で続けたいです(ゲームメディアとゲーム開発者がステマしてるとか言われちゃうと危ないから)。

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