RYUFINALが届きました。

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中平正彦ストリートファイターシリーズ完結編。

殺意の波動を超えるため、修行に励むリュウの終着はまだ遠い。

同じ師匠、同じ技を学ぶケンは一足先に真の格闘家の道を見つけていた。

ケンに大きく差をつけられたリュウは行きずりに出会った仙人オロと共に修行の旅に出る。

仙人オロはリュウは心に力を身に着けているのにその正体に気づいていないと見抜く。

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リュウは旅の途中でたくさんの強者と巡り合ってきた。それこそ、巡り合った者たちを強者に変えていく「心の力」の正体だった。

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リュウは少年のときに師匠のゴウケンのもとへ入門の戸を叩いた。

ゴウケンはそれを許さず、山に現れた人食い熊を倒してこいと難題を与えて追い払う。

しかし、この熊はリュウと戦っており、血の味を教えてしまったためにより凶暴になっていた。リュウは大怪我が治らぬまま熊と再び対峙する。

まだ少年であり傷を負っていたリュウは人食い熊に勝てるはずもなく、その命がかられる瞬間に、後ろから迫った人影がその拳で熊の頭を一撃で撃ち抜いた。

それこそ、全ての格闘家が求める強さであり、リュウは真の格闘家の姿をみた。

「なぜ殺した!?」

それほどの強さがあれば熊を追い払うことができたはずだった。

「格闘家に躊躇は無用だ」

幼いリュウとその格闘家の間に矛盾が生まれた。


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戦いを繰り返すうちにリュウも若い格闘家たちに知られるようになってきた。若さの持つスピードや工夫に翻弄されつつも一撃必殺に思いを込めて愚直なほどに突き抜ける。


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苦戦を乗り越えて、一つの答を導き出す。


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一方で東の国でリュウを待つ男がいた。かつてはリュウの殺意の波動により、胸に忘れられぬ傷を負わされた。仏が横たわるその場所でサガットは帝王の風格を備えてその時を待っていた。

なぜ殺意の波動を捨てたのだ?

サガットはリュウに問う。殺意の波動ならば戦う相手に自分と同じ寸分たがわぬ傷をつけることができたはずだと。

「倒す」ではなく「勝た」ねばならぬ相手がいる。

殺意の波動で倒されたサガットは再び立ち上がった。その姿にリュウは勇気をもらった。倒すだけの力はいらない、リュウは答えを持ってサガットの前に立つ。

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「生まれたばかりの未熟な拳だ…。だがこの拳は同時に新たな何かを生み出してくれる」

サガットは「風の拳」の誕生に静かに微笑んだ。


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朱雀城のもと、真の格闘家「豪鬼」の到着を前に再び勝負するリュウとケン。

ケンが一撃の元で膝を屈した瞬間に朱雀城の天守閣が爆散した。

天に豪鬼。地にリュウ。

格闘家の行く末が殺意の波動であるのか、矛盾を問うリュウが勝てば、殺意の波動もただの技術に成り下がる。


一手一足、その呼吸もが必殺の一撃を持つ豪鬼の殺意はリュウの腕と足を砕いた。

豪鬼の欲する答に拳一つあればよい。立ち上がるリュウの前に万物必殺の「瞬獄殺」が迫る。

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幾千に及ぶ必殺の一撃がリュウを襲った。瞬獄殺を浴びたリュウはこの技の正体を知る。命をかけたリュウの機転でついに瞬獄殺は破れた。



「まだ終わりではない!!!」



ゲームコミックは設定がソフト会社が作成したもので、漫画家がその背景を作るとなるととても難しいものだと思います。

いざゲームコミックを読んでみるとキャラクターは浮ついた感じがするし、あまり印象に残らないものばかりでした。キャラクターを深掘りしようものなら、ゲームをプレイしている人の脳内解釈に大きくハズレてしまったりすることも十分にありえますし、そうなると人気にも響きますから。

RYUFINALに限っては作家の解釈がこれでもかとキャラクターを掘り下げたものなのですが、これが公式なのではないかと思うくらい完成度が高くて、何度も読み返しました。

リュウの人間像は求道者のそれであって、他人の納得よりも自分の納得を優先する人ですよね。あいつは何を言っても聞かないから、そういうタイプは世間には疎まれてしまうこともあるわけですが、ひたすら傷ついても立場が違えどわかってくれる人がいて、どこかで充実しているところが見えたりすると羨ましくも感じてくるものです。勝者の立場にはあまり関心はなく、はてなき道を前のめりで倒れるまで進んでいく姿にどことなく元気が出る思いがするんですよね。

ちなみに殺意の波動に染まったリュウというのはキャラクターオフィシャルの設定ではなくて、if設定の話のようです。アーケードでも使えるようになってますけれど。


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