見出し画像

「絵を描かなきゃ…!」で潰れかかっていた自分と、そこに向き合ったことで得られた絵を描く意味

こんにちは、超未経験からいきなり画家を目指して6ヶ月の大野です。

今回は自分の中でも人生で大きな気づきがあったし、同時に「描くこと」についても大きな転換がありました。
こういうのって喉元過ぎればサラリと忘れてしまう気もするので、書いておくことにした次第です。

絵を描く文脈以外でも応用できるような体験だと感じているので、何かご参考になれば幸いです😊

では、スタート!!

誰だ?!絵を描くことは楽しいなんて言ったやつ!?

(なんだか、冒頭から荒っぽい入りですみません💦
世の中ではね、絵を描く=楽しいと思われることが多くってついね。)

さて、私は個展後の数ヶ月、いやもしかして最初から

「描くのは割と辛い」

出来事でした。

絵を描く=なんだか楽しいこと

ってイメージもあるかもしれませんが、自分に向き合ったり、ゼロからイチをつくり続けることの重圧っぽいものだったり、そこに明確なゴールがない作業。であることは、手放しに楽しいものなどではありませんでした。

それがちょっと辛いから、「ゴールの見える」他のタスクたちについつい手を伸ばしてしまうこともしばしば。
だってその仕事たちは私に「達成感」を与えてくれる訳ですから。
そういうアドレナリンをくれるものたちについつい触れたくなります(今もなおね)

そんな感じはありつつ、やはり最初の個展までは、THE チャレンジャー。
良い意味で誰も私に期待してないし、ある意味何をやっても承認される状態。
だから、そのとき自分の思った精一杯の作品づくりとおもてなしをすれば、それでOKだっていう無邪気さのようなものが初回はありました。

おかげさまで多くの方にご評価いただき、作品もご購入いただき、そこにあったのは称賛の嵐でした。
だってそうよ、まだ私に対する期待値なんて低いんだもの。
赤ん坊がどんな初めてでも褒め称えられるように、私の一挙手一投足は何をやっても褒められるフェーズだった(ように思う)


絵が、絵が、描けない。。。

そんな個展が終わったあと、私は1ヶ月絵を描かなかった。

絵の発送とか、お礼とか、ちょっと旅行に行ったりとか、一番大きかったのは、その次とそのまたその次の個展の会場を探したりとか、確かに忙しかったけれども、

「描けなかった」
「描かなかった」
「描きたくなかった」

みたいなフェーズをブラブラしていた気がする。

終わって1ヶ月くらいなら、「まぁ、初回の個展で出し切ったし」と思えていた期間も、だんだんと描けない時間は過ぎ、個展が終わって2ヶ月間くらい、ほとんど描けなかった気がする。

だけど、私は初回の個展から約4ヶ月後に次の個展を予定していた。
間の期間は短い上に、ありがたいことに一回目の個展で作品は2/3ほど手元から離れており、私は新しい作品をつくるより他になかった。

しかも私のエグいところは、1回目の個展の3倍になる会場を借りたことだ。
誰も私に作品の枚数を強いてこないとはいえ、1回目を見た方もきっとたくさん来てくださる。

期待値を超えなければ・・・
次回も楽しんで貰わなければ・・・
感動するような絵を渡さなければ・・・
前回よりも成長していなければ・・・

そんな作品をつくらなければならない。

それも前回よりもたくさん!!

プププ、プレッシャーです。
ええそうですとも分かりやすいほどのプレッシャーです。

そうであるにも関わらず、私の筆は2ヶ月近くも止まったままだったのです。

1回目をやったことで、ありがたくも評価を得られたことで、次の一歩が、怖くなっていたのかもしれません。

焦りが大きくなる毎日。

いつしか朝起きるのも憂鬱になり、
夢で見るのは

・飛行機に乗り遅れる
・作品制作が間に合わない
・その他もろもろ

のなんだか「追われたり」「焦ったり」する夢ばかり。。。

そして、いざ絵を描くぞ!
ってなっても、なんだか割とすぐに眠くなってしまう
んですね。。。

一般的には「絵を描く=現実逃避」みたいなイメージがある気がするのですが、私にとっては逆で、絵を描くのが辛くなって、もっとタスクっぽい仕事に逃げる。あるいは描こうと思っても眠くなることで現実逃避。。。

そんな毎日でした。


私ってバカなの!?
絵が描けない悪循環


一体何がしたいんでしょうか。

自分でバカデカい会場を予約し、
自分でたった4ヶ月後に個展を設定し、
絵が描けなーい😂

ってなって、また焦って、絵が描けなくなるという悪循環の中に、、、

私はいました!!(ええ、本当に)


そんな私に対し、旦那さんは

「ゆっこ、絵ぇ描かないの?
俺は佐藤琢磨というレーサーが好きだけど、琢磨の講演会に興味はない。
彼が、走っている姿を見たいんだ。
ゆっこの絵を好きな人はね、ゆっこの絵が見たいんだよ。
このまま描かなかったらみんな『最初だけだったのかなぁ』って思うよ」

なんて声をかけられる・・・


うぅぅぅ(;_;)(;_;)(;_;)


そんなこと、私が一番分かってるよ。
「不安なとき、行動することだけがその不安を楽にしてくれる」
っていう旦那さんからの言葉をいちも心に灯してる。
だけど、なんだか進めないんだ。うまくいかないんだ。

うぇ〜〜〜ん😂

そうこうしていると、なんだか旦那さんとのパートナーシップの雲行きも怪しくなり。。。

けんちゃん(旦那さん)も、今は新しいことを次々と立ち上げていたり、本の執筆もあったり、既存の仕事もあったりで、めちゃくちゃ忙しかったと思う(今も変わらず)

そんな中、私は私でなんだかうじうじもやもやしていて、余裕がない。

そんな二人なもんだから、なんだか噛み合わなくなっていて、気付いたらプチ冷戦状態に。

前々から、自分が変わった方がいいところは分かっているんだけど、私はどうしてもどうしてもそれに向き合いたくなくって、、、(そこにはパンドラの箱的トラウマのようなものが入っていそうな気配がむんむんで、一人であける勇気はなかった)


どんだけ「べき」があんねん!!

そんな中、知り合いのみなちゃんがおうちに遊びに来てくれること。
話していて気づきました。みなちゃんとのセッションを受ければ、ずっと開けたくないと思っていた箱を開けられる気がするし、結果パートナーシップも良くなる気がする!!!

ってことで、即体験セッションを申し込み、体験セッションを経て、4ヶ月の継続セッションを受けることにしました。


本当にこの選択をしてよかったと思う。

このセッションを開始して早々に、自分が絵を描くのが楽になり、なんなら、さらに深い部分で、私が「なぜ絵を描くのか」の意味がクリアになったのだから・・・✨


もう、ここまでの話で十分長いので、ここからは少々割愛しますと、
私はですね、立派な「べきべき人間」になっていました。

絵をやる中で私にあった「べきべき」リストはこちら

・絵を描かなければいけない(そもそもあるやつ 笑)

・人に受け入れられる絵を描かなければならない

・描いた絵は、誰かの元へ旅たつものでなければならない(私の手元に残ったら寂しい、手放したい)

・多くの枚数を描かなければならない(個展もあるけど、そもそも数も大事なんじゃないか)

・一枚の絵に、そんなに時間をかけてはならない

・過去に描いたような絵は、できるだけ描かず、新しい絵を描いていきたい

・どんな視点であれ、「美しい」ものを描きたい

・プレッシャーのない状態で描かなければならない
(ということにプレッシャーを感じる入れ子構造。。。苦笑)

・ただ絵を描いているだけではダメだ。やれることは全方向でしなければならない

・良い絵になるためには、私が進化しなければならない

・早く成功しないと、中途半端な状態で次に行くんじゃないか、(不完全燃焼で終わるのでは?)、早く成功しないと機を逃すのでは?という恐怖


あぁ、なんかもう見るだけでしんどいわ。
みなちゃんからも「こんなに『べき』が働いていたら、そりゃ絵を描いてて眠たくなるよね〜😂」っと同情される。。。


絵を描くってすごく自由なことに感じるかもしれないけど、私の中はいろんな「べき」で押しつぶされそうになっていた。。。


ということにまずはしっかりと気付いた訳です。
私自身、この強い「べき」に突き動かされてきたからこその今があるし、それは決して悪ではない。だけどきっと私は、そろそろ「違うモード」になりたかった、んだと思う。

だからこそこのセッションを受けたし、
なんなら、そこに気づくために絵というツールを手に取ったのではないかとさえ思う。
(絵を描くことはね、本当に今までとは違う角度で自分に気づきを与えてくれるから。。。✨)


描きたい絵を、描いていいんだ😭

でね、じゃあどうするの?なんだよね。
それはね、ごめんけど単純で、「○○したい」っていうところに耳を傾けてあげることなんだよ。そして、その「したい」を全部鵜呑みにしなくてもよくって、でも今まで全然聞けてなかった訳だから、まずはそれを聞いてあげることが大事。
その上で、それをどうしていけば良いのかを、もっと理性的な自分と一緒に対話して、進んでいく、それだけのこと。

だけど今までは、信じられない割合で「べき」が割合をしめていたことに気づく。
私自身は、自己認識もおそらく他己認識も「自由な人」ってなってると思うので、まさか自分がそこまで縛られていたなんて、正直思いもよらなかった。

(ちなみに、どうしてそんな自分になったのか、どうしてそれが分かったのか、みたいなことの後日談があって、そこはnoteの「サークル」で語っているので、もしご興味があれば)

ということで、早速そこに気付いてから、「じゃあ、私はどうしたかったの?どうしたいの?」みたいなことを、自分の心に聞いてみる。ほんと、慣れないせいか、訳も分からないまま、初めて赤ちゃんに触れるようなドキドキとぎこちなさ。。。

すると、私がやりたいことちゃんとあったようで、スルスルほわほわと浮かんできた。

今まで評価を恐れていたし、
作品とは呼べないような「プロセス」となる絵を出してはいけない

って思っていた。


でも、全部全部ぜーんぶ出してもいいかもしれない、と思えたとき、作品をつくることに対して、久しぶりにわくわくが蘇った。

そうか、つくりたいものを、つくればいいんだ!!

そんなシンプルな喜びが胸の中にじんわりと沸き起こってきた。

その結果絵を描くことの感覚は、無邪気な子どもがクレヨンを渡されたときのような感覚を感じる。

そっか、なんでも描いていいんだ!いいんだ!って。。。🥺

そう思ってから描いた絵が、以下の絵たちです。
前の絵を知っている方なら、何か変化を感じてくださいますでしょうか?

スクリーンショット 2020-09-29 1.05.22

スクリーンショット 2020-09-29 1.36.41

有機


ちなみに、まさに向き合っていた最中のときに描いた絵がこちらでした。乗り越えながら描いた絵だと思います。

画像4


という訳で、今まではいろいろとジャッジ(自己評価・事故検閲)が入って、絵を描く際に不自由なことが多かったのですが、この機会を経て、本当の意味で自由というか、自分の進みたい方で、歩んでいきたいと思います。


次回個展でのお断り・・・

そんなこんなをしていた3ヶ月弱でしたので、次回の個展では満足のいく作品をお出しできなかったり、力不足なこともあるかもしれません。

だけど、この気づきを得て、ここから1ヶ月半また頑張ります!
そもそも終わりなどなく、全てが過程だとも思います。

ぜひ次回の個展では、今の最高点を見にきてくださると嬉しいです😊


詳細はこちら


改めて、なぜ私は絵を描くのか?


で、最後に、最近私の中でアップデートされた、「なぜ絵を描くのか」についてお伝えして終わっていきたいと思います。


みなちゃんのセッションを受ける中で、「『べき』じゃなくて良いことは分かった。でも、そもそもなんで絵を描くんだっけ?となった」(いや、おいおい、そもそもそこww)


みなちゃんは、スピリチュアルな能力も持ち合わせているので、創造主でもハイヤーセルフ(守護霊)でも、なんでも良いのだけど、そういう存在に私が絵をやる意味を聞いてくれた。(それ聞いちゃうの?というツッコミは甘んじて受け入れますが、これはこれでとっても便利なんですよ〜)


みなちゃん曰く

ゆっこちゃんが絵をやると、サーーーーっと光が渡っていって浸透する。
その光が、いろんな人の心にしみる感じ。
絵を用いることで、「やわらかさ」から「ツンツンしたもの」まで様々なものを表現することができる。ゆっこちゃんは、色との相性も良いので、いろいろな感情の受け皿として絵が適切。そして、ゆっこちゃんはそれに没頭することができる。

そうやってできたものを見ることによって人は光を得るし、「自分にもこういう側面があっていいんだ、って自己承認ができる。自分にOKを出すことができる。」

それを受けた人は、ハートがぷるぷるに蘇る。
「これも表現していいんだ!」という自己承認になる。

とのこと。

これを聞いて、じーーーーんと来たし、すごく納得する部分があった。

新しい世界に飛び込む以上、好奇心いっぱいな私はいろいろな世界を見てみたいし、「上」があるんだとしたら、上を目指してみたい。

最近までは「新しい世界を見る!」ということにモチベーションを置いて頑張ってきたつもりだったけど、どこか片手落ちで踏ん張れない感じがあった。

だけど、本当はどんなものを届けたいかと聞かれたときに浮かぶのは、

落ち着いた空間があり、そこには大きな絵がかかっている。その前にたたずむ一人の女性。その女性は絵を見ながらその人なりに感じ入ったり、もの思いにふけったりしている。。。
大事な自分と向き合える大切な時間。

私は、そんな時間や機会を提供したいと思うし、
私自身が、アートからそういう力を得てきた。

私はこれまで「理念づくり」という仕事をしていたけど、願っていることは同じだったと思う。

その人自身が自分について深く考えられたり、その中で「自分はこれでいいんだ」という自己承認が起こること。

今この記事を書いているのだって、自分の整理という側面もあるけど、似たような状況下もしれない誰かの自己承認が促されればと思って書いている。


そんなことに気付いたことで、さらに「本当になんでも表現していいんだ!」ということに思い至る。

だって、私の中にある美しいものも、楽しいものも、やるせないものも、醜いものも、それを表現することで、誰かの心が、自分にやさしくなるかもしれない。
だから、きっと、私が表現するものは、きっと誰かに届くし、届かなかったとしても、少なくとも自分を癒してくれている。


だから私は絵を描く。


ということに、明確な意志と自分の願いを設定することができました。


自分に向き合ってみるって面白いですね。

これまで、「べき」だったり、「自分の中に本当はある願い」を隠すために、実はどんどん仮面を厚くしていたように思います。自分の本音が、相手にも自分にもわからないように必死だったと思います。(見える人には全然見えていましたが)


今日書いたところが、私の等身大の現在地です。

個展はやっぱりまだまだプレッシャーがあります。

だけど、プレッシャーの種類が変わりました。

今までは基準のわからない、虚像のような「完璧」を追い求めて疲弊しそうでした。

でも今は、来た人に渡したいものがあって、それを、できるだけ多く渡したいなぁ、渡せるといいなぁ、っていうある種の願いから生じるもどかしさ、みたいな感じです。

来月は、予定がある日以外は全力で籠もって作成予定ですので、ぜひぜひ個展を楽しみにしてくださると嬉しいです。

一緒に感性を開き合う対話型芸術鑑賞も同時開催しますので、ぜひそちらにもご参加ください^^

という訳で、かなり長くなりましたが、画家を目指して半年で起こった葛藤と、迷いや苦しみ、でもそれを経たからこそ気づけた自分の願いでした。


noteのサークル内では、よくこんな日々の心情の機微や、びっくり?!プロジェクトなどをシェアしていますので、よろしければのぞいてみてください。

今回、自分の人生としても新しいフェーズに突入した気がします。
大袈裟ではなく、30年分の変化な気がする。
そんな変化を経て、作品や活動がどんな風に変化していくのか、ぜひぜひ楽しみにしてくださると嬉しいです^^

ではまた!


作品はInstagramから♡

「言葉の美しさは、見ている世界の美しさ」 少しでも新しくて、美しい視点をお届けできるよう、好奇心全開で生きています。いただいたサポートは、全力好奇心の軍資金として、大切に使わせていただきます♡