見出し画像

女性閉鎖病棟の日々〜溢れ出す思い〜

入院していた頃の懐古記事がストップしていたので、続きを書くことにします📝

閉鎖病棟に入って、最初の頃やっていたのは、知人、友人に手紙を書くことだった💌
幸い…ではないが、好都合なことに、所属していた大学は住所が簡単なので覚えており、研究室名だけ書けばいくらでも送れた。
仲の良かった先生や友人にハガキで近況報告をひたすらしていた。
たぶん、これも躁の症状だったのだと思う😢

なぜハガキかというと、携帯電話は没収されて、母が自宅で管理していたからだ。
閉鎖病棟では、公衆電話と郵便しかない。
それを最大限駆使していた状態だった📞

恩師からは返事が来て、他の人がなかなかかける言葉が見つからないのかポストカードに一言だけみたいな感じの中(もちろんそれも嬉しかったが)、恩師はかなりびっしり励ましと労わりの言葉を書いてくださり、尊敬を新たにしたのを覚えている😌

電話も何箇所かにかけていたけど、頭が冴えているからか、電話番号を記憶していたところが何箇所もあった。
ストーカー行為疑惑で迷惑をかけた高校の電話も覚えていて、先生に話を聞いてもらったり、謝罪を引き継いでもらったりした。

そんな感じで最初は活動的だったけど、
薬が効くにつれ、躁状態が冷めていくと、
自分の置かれた状況に泣けてきて、
だんだん抑うつっぽくなってきたけど、
医師からは落差でそう感じるだけで、
それでちょうどいいと言われた。

疾患の管理としてはそれでいいけど、
離婚して、失職して、病気になって、しかも両親ともガンになった時期だから、しんどい気持ちを、
医師ももう少し聞いてくれたってよかったと思う。

それだけいろいろ抱えているのに気づいて声をかけてくれたのは、看護師さんだった👨‍⚕️👩‍⚕️
看護師もろくに声かけもせず、ナースステーションから患者を監視しているだけだと思っていたけど、
途中からは見直した。

長くなってきたのでこのへんでっ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?