自閉症さんとダウン症さんと知的障害さんの性質の違い

我が家の長女は知的障害さんです。
その子育てで感じたこと。
また、5年ほど成人障害者向け事業所に勤めた経験から、わたしなりにたどり着いた『自閉症さんとダウン症さんと知的障害さんの違い』を書き記してみます。

あくまでわたしが感じたことです。
科学的根拠などは一切ありません。
という前置のもとに。

自閉症さんは、純粋。
ダウン症さんは、正直。
知的障害さんは、優しい。

①自閉症さんは、純粋。
自閉症さんは純粋です。世界の美しさをありのまま受け取っています。

世の中の芸術と呼ばれるものには、誰もが美しいと分かるものと、難解なものとがあります。ピカソの絵は何億円もするけれど、その素晴らしさはわたしは残念ながら分かりません。自閉症さんが感じる美しさとは、そういう難しいものではなく、もっと素直で純粋なものです。

花がきれいとか、空がきれいとか。

そして私たちよりももっと深い部分まで感じ取ります。
人に対しても、相手の心や感情を瞬時に深い部分まで感じ取ります。あまりに情報量が多く、強い衝撃を受けやすいので、自分でガードする術を身につけています。自閉症さんの感受性の高さは、定型発達者には想像もつかないほどです。

何に対しても真っ直ぐ受け取り、真っ直ぐ表現する。しかも深い。そして表現が素直。それが自閉症さんです。

わたしは彼らが描いた絵を見ると、それを感じます。「自分なりの表現をしたい」というような自我……自己主張のようなものがないのです。ただ、受け取ったものをありのままに表現するだけです。

素直なだけに、純粋に美しい。
そう思います。

自閉傾向のある子供は目が合わない。
とよく言われますが、大人になるとほとんどの方が目を合わせるようになります。
彼らと目を合わせると、真っ直ぐ心の奥や魂までも視線が届いているような気がするのです。

②ダウン症さんは正直。
ダウン症さんに限りませんが、生まれながらに障害を持っている人はみな正直です。正直といっても、親や教師に対してではありません。自分に正直です。

ダウン症さんは特にそれが徹底しています。

よく「ダウン症の子は頑固」といいますが、自分に正直なだけです。
好きなものは好き!
嫌なものはイヤ!
怒られても絶対変わらない。

障害のある無しにかかわらず子供は弱者ですから、本当は好きじゃなくても好きなフリをしたり。
本当は嫌でも嫌と言えなかったり。
自分を曲げざるを得ない状況はあるものです。
そしてまわりの大人はそれに気がつかないもの。
あるいは薄々気づいても、気づかないフリをすることだってあります。
その方が都合が良いからです。

だからダウン症さんのように、自分に正直で曲げない存在は貴重です。
私たち大人が、ちゃんと彼らのメッセージを受け取らなければならないのでしょう。

また、ダウン症さんはとても陽気です。
楽しいことが大好き!
ついでにイタズラも大好きです。
ダウン症さんがかわいいとか、天使とか言われるのは、その辺が理由でしょう。
確かに、場に1人ダウン症さんがいると、空気が違うのです!

③知的障害さんは優しい。
上に書いたように、自閉症さんやダウン症さんは定型発達とは少し違う感覚を持っていますが、知的障害さんはそういうものはあまり感じません。

少し脱線しますが、感覚が違うということは世界の見え方、感じ方が違うということです。物理的に同じ世界にいても、住んでいる世界が違うことになります。あなたにとって明るい世界が、自閉症さんにとっては眩しすぎる。あるいはあなたにとってはルールで守られた世界が、ダウン症さんにとっては鎖で縛られた世界に感じる。という具合。

知的障害さんは、そういった感覚の違いはあまりないと思います。ただ、彼らはとても優しいです。喜びも悲しみも、隣にいる人と共有するものだと生まれながらに知っています。

嬉しいことや楽しいことは、隣の人に伝えて一緒に笑ってほしい。悲しそうな人がいたら、そばに行って「大丈夫?」と声をかけてあげたい。物も感情も誰か一人のものではなく、皆で共有するものだと知っているようです。

おそらく「人は一人で生きているのではない」ということを、私たちは皆深い部分ではわかっているのだと思います。でも日常生活を送っているとそう確信を持てない部分が出てきます。依存はいけないのではないかとか、自己責任とか。そういうことももちろん間違いではないのですが、もっと大きな意味で、人は皆繋がっているし、困ったときには助け合えばよい、というものがあると思うのです。

知的障害さんにはできないことがたくさんあります。人に頼らなければ生きていけません。でも、彼らは自分の人生全てを使って「頼って生きてもいいんだよ。何もできなくても笑顔をあげることはできるんだよ」ということを教えてくれているのではないかと、私は常々考えているのです。