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障害がある子どもを育てるときに1番大切なこと。前編。

まだ娘が小学校に上がる前、ある講演会を聞きに行ったことがあります。講師は長年特別支援教育に携わっている先生で、そのお子さんは自閉症を持っていました。 講師のお子さんはすでに成人し、仕事をしながらグループホームで暮らしているということです。その経験から、障害を持つ子が将来独立するために何が必要か?というのが、講演の内容でした。

そのころ私の娘は就学前で、言葉は話せず手先は不器用で細かい作業は苦手です。将来仕事をするためには、言葉で簡単なやりとりはできた方がいいんだろうか?ひらがなくらいは書けるようにならなければいけないだろうか?今から根気良く教えて、ちょうちょ結びができるようにしてあげるのが親の務めだろうか?そんなことを考えながら講演会に向かいました。

ちなみに今、中学生の娘は、言葉はカタコト。ひらがなは覚えては忘れ、覚えては忘れ、50音をマスターするのは遥か未来になりそうです。(その未来も来るのかどうか・・・)ちょうちょ結びは・・・、諦めました。

就学前の幼児期の子供は、どこまで発達するのか未知数です。当時の私は娘の発達について楽観的な思いを持っていました。というか、「母親が子供の発達を諦めたらそこでおしまい」という気持ちがあったので、最大限に楽観視していた、という方が適当でしょう。

ところが講演内容は、そんな私の思いとは大きく離れたものでした。

「1番大切なことは、毎朝決まった時間に職場に行けること。その次に大切なことは挨拶ができることと、周りの人と仲良くやっていけること」講師の方はそう言いました。

「え?それって、障害関係ないじゃん。健常者でもできない人いるじゃん」

私は正直、拍子抜けしました。これまでもこれからも、母親として後悔しないように出来るだけのことはしてやりたい。成長がゆっくりでも、進んでいるのならちゃんといろんなことが出来るようになるだろう。他の子が1回で覚えることを10回教えなければならないなら、10回教えれば良い。全部できるようにならなくても、最小限必要なことは、スモールステップを繰り返して出来るようにしてあげたい。そんな気合いに満ちていたのに、「早寝早起きと挨拶?それならもう出来てる。」と思ったのです。

当時の私は、「出来ること」を重視していたのですね。将来社会のなかで生きていくためには、「身の回りのことが出来る」「仕事が出来る」「一人で出来る」ということが重要だと思っていたのです。

でも、実際に自分が成人障害者向け事業所で働き始めると、そうではないことが分かってきました。「出来る」にも価値はありますが、もっと他に大切なことがあるのです。それがなかったらどんなに「出来る」ことがあっても居場所を見つけるのは難しいです。逆にそれがあったら仕事や身の回りのことが出来なくても、居場所は見つかります。次回はその、「出来る」よりも大切なことと、それを得るのに必要なことを書いていきます。

蛇足
1回覚えることを10回で覚えるなら・・・と思っていた私ですが、その後「100回教えて覚えたらラッキー」に考えを改めました。そういうもののようです・・・。