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その子の「能力」ってなんだろう? 前編。

知的障害の子育てあるあるかもしれませんが、子供に障害があることを告げると、「そういう子は何か特別な能力があるかもしれないわよ」と言われることがあります。

もちろん相手は悪気なく言っていて、なんだったら励ましたいとか、少しでもポジティブになって欲しいという気持ちから出た発言なのは百も承知です。でもあえて言わせてもらうと、「健常者に特別な能力を持った人が一握りしかいないように、障害者にも特別な能力を持った人は一握りしかいません。」そもそも「障害があっても特別な能力が・・・」と言っている時点で「障害者は能力が低い」と言っているようなものなのですが、まあ、それは置いておいて。

しかしかなりの確率で親が子よりも先に死ぬ現在社会で、子供がどんな能力を得られるかというのは大きな問題ではあります。親が最後まで面倒を見られないので、それが生き方に直結するからです。

私も障害者事業所で働いていた時は、「どうしたら障害者でも働けるか?利益を出せるか?」と考えていた時があります。でもまもなく諦めました。知的障害のない自閉症者とか身体障害者なら別ですが、障害を持っている人がそれなりの生産性を身につけるというのはかなり難しいです。工夫でなんとか出来る範囲は限られます。

アートの世界は?と思う方も多いでしょうが、障害があって独自の発想や世界観があっても、アートには技術も必要です。技術には経験が必要です。つまり一朝一夕に誰でもアーティストになれるわけではないということです。それに健常者でもアートで食べていくのは難しいのですから、障害者だって同じように難しいのです。

また、障害というのは本当に幅が広くて、寝たきりの人のいれば、ほとんど体を動かせない人もいます。そういう子にも「特別な能力があるかも」なんていえますか?「このレベルなら仕事ができるけど、それ以外は無理」という「仕事の工夫」は、私の目指すものではない気がしていました。

私は「誰にでも価値があり、生きている意味があり、誰かのためになれる」そんな意味での「能力」や「仕事」が欲しかったのです。

ある日、TVでセラピー犬を見ました。専門に訓練された犬が病院やホスピスを訪れ、患者さんと触れ合う。というものです。セラピー犬は毛の長いゴールデンレトリバーでしたので、事前にシャンプーをして、病院に入る前は足を消毒をしました。その時私はひらめきました!

「うちの子だってお年寄りくらい癒せるし、毎日お風呂に入ってシャンプーしてるから、ワンコより簡単に病院に入れる。」と。知的障害のあるうちの長女は大人しくて人懐こいので、お年寄りに可愛がられます。犬が行くことが仕事になるなら、うちの娘が行ってもいいじゃん。と、思ったのです。

短絡的ではありますが、的を外した話ではないと思います。私はそれが実際に仕事として成り立つかどうか、頭の中でシュミレーションしてみました。結果、「難しい」という結論に行き着きました。

1番の理由は彼らが気まぐれなことです。気まぐれというと聞こえが悪いので言い換えますと、彼らは自分に正直なので、行きたいときは行くけれど、行きたくない時には行かないのです。無理やり連れて行っても、機嫌が悪かったら患者さんを癒すどころではありません。仕事としてお代をもらうということは、「時間を守り、決まったサービスを提供」しなければなりません。それが保証できない限り、「仕事」とはならないのです。

でもそのことで私は「仕事ってなんだろう?能力ってなんだろう?」ということを根本的に考えるようになりました。