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その子の「能力」ってなんだろう? 後編。

そもそも「能力」ってなんでしょう?辞書で調べると、

1.物事を成し遂げる力。はたらき
2.心身機能の基礎的な性能
3.ある物事について必要とされていて、適当とされる資格

と出てきます。辞書の説明はかえって難しい気もしますが、要は「何ができるか」ということです。でも一般社会では、もっと限定的な意味で使われています。それは、「お金になるかどうか」ということです。

多くの親や教師は、子供に将来お金を稼ぐ力を身につけて欲しいと望みます。だからお金にならない能力は能力として認められません。例えば好きなアニメのセリフを全部言えるとか。いるだけでその場をなごませられるとか。それらを「素晴らしい能力があるね」という大人はほぼいないでしょう。でもアニメ好きが高じてアニメ解説ユーチューバーなどで収入を得られるようになると、途端に「能力」として認められます。

私は20代の頃、初めて「ネイリスト」という仕事を聞きました。「そんな仕事は3年と持たない」と、すぐ思いました。でも今でもネイルサロンはたくさんあります。また、PCやスマホが進化して素人でも動画作成ができるようになるからといって、誰もが動画で収入を得られる時代が来るとは思いませんでした。クラウドファンディングの存在を初めて知った時も衝撃でした。絵本等で有名な西野亮廣さんはクラウドファンディングを「信頼をお金に換金するツール」と言っていて、なるほど。と思いました。

ネイルをきれいにする技術も、動画を作る技術も、「この人ならやってくれそう」という信頼も、以前はお金になるものではありませんでした。ネイルをきれいにしたいという女性が増えることや、Youtubeでの広告システム、クラウドファンディングを運営するプラットフォームサイトが出来て、初めてそれらをお金に換金するシステムができたのです。

逆に換金するシステムがないものは、社会では「能力」として認められません。そのことに気付いてから、私は知的障害等を持つ娘たちの「素直さ」や「人を笑顔にする力」「ゆっくり過ごすことを思い出させてくれること」などをどうにか換金できないかと想像力を働かせました。障害を持った人たちは本当にかわいく、日々効率や合理性に追い立てられている私たちのガス抜きをしてくれます。「そんなにせかせかして疲れないの?」「もっとわがまま言っていいんじゃないの?」「ただ目が合うだけでこんなに嬉しいんだよ」など、様々なことを教えてくれます。

それらをどうしたら換金できるのか?一緒に過ごす機会を作る?でも、障害者が集まる場所を作ってそこに人を招くのは違う気がします。それは社会参加ではありません。もっと自由に、もっと当たり前のように、障害を持っていても買い物やレジャーに出かけられる社会を目指したいのに、それでは逆方向へ舵をとっているようなものです。それに彼らは安定した環境を好みます。日々訪れる人が変わることに対応できない人もいます。換金システムも大事だけど、彼らが穏やかな気持ちで日常を過ごせることはもっと大事です。それに寝たきりでなかなか外出できない人や、基礎疾患があって感染症にかかったときのリスクが高い人もいます。そういう人は換金システムに入れなかったら能力がないことになるの?けっきょく出口のない迷宮に入り、空想は終わりました。

でも、一通り想像してみたおかげで答えが出ました。障害者はみな人の心に働きかける素晴らしい能力を持っていますが、それを換金しようとするとおかしなことになってしまうのです。けっきょく、「換金できないと社会的に能力と認められない」今の社会がおかしいのです。

知的障害のある娘を育て、障害者事業所で5年ほど働き、私には彼らに素晴らしい特性があることがわかっています。彼らはいつも真っ直ぐに私たちに向き合ってくれます。そして明るく人好きで、自分に素直でいることを教えてくれます。でもそれを多くの人は知りません。接した経験がないからです。彼らの恩恵を受けているのは、家族と、支援学校の先生や支援員などの支援者だけです。でも家族には、彼らの素晴らしい特性に気づきながらも、正体不明の後ろめたさにつきまとわれて小さくなっている人も少なくありません。私はそんな状況を変えたいです。障害者は能力がないわけではありません。誰でも何かの役割があるように、たとえ話せなくて動けないような重度障害がある人でも、人の心を温かくし、幸福感を感じさせることが出来ます。かえって障害のない健常者よりもそういう能力があることに気づいている人はたくさんいるはずです。そういう素晴らしい能力を持っている彼らが、その能力に見合う人生を送り、周りの人と幸せを感じられるような世の中になることを、目指しています。