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「アフターコロナ」と「ひと」の変化を追うということ

 秋は割と好きな季節なのだけど、秋は私のことが大して好きではない。毎年11月には気温差でぜんそくになりがちだし、気圧差にヤラれて頭痛で動けなくなりがちで、メンタルもキツい。一昨年この時期にお仕事がままならないほど体調を崩して、昨年は回復途上という感じだったので、なるべく重めのタスクは避けるように努めていたのだけど、それでもキツかった。とはいえ、多少高度が低めながらなんとか乗り切ることができたのは、小さいけれど大きな成果だった。

 今日、東京・原宿の『KAWAII MONSTER CAFE』などで活動しているフリーランスのパフォーマー柘榴ユカさんのインタビューを出した。

 記憶を遡ると、ユカさんとはじめて会ったのは2011年だから9年前。自分としては昨日のことのようなのだけど、その間に彼女は『6%DOKIDOKI』のショップガールからパフォーマーとして自分の好きな表現を突き詰める活動にシフトしていって、着実に一歩一歩前に進んでいた。それが、新型コロナの影響で活動の場が失われ、「社会から必要とされていない」と悩んだ上で制作したのが、演劇作品の『Decay』だという。この『Decay』についての想いはユカさん自身がお書きになっているから、それをご参照頂く方がいいだろう。

 取材をしていて「キー」になると思ったのは、ユカさんの活動が「社会に求められていない」という言葉だった。自分の思うがままに表現することで「アート」が成り立つのではなく、大なり小なり人に作用することで「アート」として成り立つ、という考え方は、ロクパーやアーティスト活動を通じて増田セバスチャンさんが体現していたことで、増田さんのことを間近で追い続けていた彼女がそういった思想になるのは自然なことのように思える。だからこそ、『Decay』は「アフターコロナと社会と女性」という視点でも自分は見ているのだけど、まだ腹落ちしていないところもあるので、語るのは別の機会に譲りたいと思う。


 「アフターコロナと社会と女性」という観点でいえば、先日に出した『私設図書館シャッツキステ』の総メイド長の有井エリスさんのインタビューにも似たような観点で捉えることができる。

 秋葉原のメイドカフェの中でも、正調の英国風のメイドというビジュアルは印象的に映ったし、数々のイベントもマニアックではあるけれど、一つの軸が通っていて、その中心にエリスさんがいたのだということが理解できるような内容に、自分ではしたつもりなのだけど。彼女も結婚や出産、海外移住といった転機があって、自身がいない中で店舗を運営できる体制を整えた矢先に、コロナの影響で閉館を決意したという意味では、社会とご自身の事を考え抜いた結果と捉えることができるのではないか、と思っている。

 「アフターコロナ」では、社会の変容という文脈で語られるし、そのアプローチが間違っているとは思わない。とはいえ、自分はむしろ考え方が変わったり、境遇に何らかの影響があった個人に目を向けたい。

 例えばユカさんが語る「社会から必要とされていない」という感覚は、リモートワークで「無駄」と切り捨てられる業務に携わっていた人たちが共有してもおかしくないのでは、と思う。自分自身ちゃんとは追っていないけれど、女性の自殺率が上がっているというデータはあっても、個人がどのような心情になっていたまでは分からない。「ぼんやりとした不安」だったのかもしれない。だけど、むしろこれまでやってきたことへの「社会からの否定」という側面が多少なりとも影響があるような直感が自分にはある。

 なので、今後も「アフターコロナと社会と個人の変容」というテーマは折を見て考えてみたいし取材もしたいな~、と思っている。おそらく、10年以上経過してから、振り返ってみて「こういう時代だった」というアーカイブとして機能するだろうし、それがメディア人としての役割でもあるだろうと、勝手に考えている。


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