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今だからこそコタツ記事の是非を考えてみる

 こちらではだいぶ遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。2021年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 年末年始も特別関係なくお仕事をするのがネットメディアで働く人の常態ではあるのだけけれど、一昨年から昨年にかけて心身を壊したこともあって、30~2日午前中の間にほぼネット絶ちをして、PCも開かないようにしていた。その間はほぼ寝正月で、ベッドに寝転がりつつKindleでの読書に費して過ごした。まぁ、これはこれで良い気分転換にもなったし、今年はONとOFFをできるだけメリハリつけていくことを心がけないといけないとな~と思っている。

 さて。昨年末に朝日新聞がスポーツ紙がコタツ記事をやめられないといった記事が配信されていた。

 ちゃんとした検証はできていないけれど、この記事で挙げられている高須克弥氏や丸山穂高氏などは、ネットメディアが好んでピックアップしてきた人たちだ。一方で、スポーツ紙の場合、2014~5年くらいにスポーツ選手や芸能人がTwitterやInstagramで直接発信するケースが増え、それを「ソース」として記事を出すということが常態化するようになっている。

 個人的にネットメディアでお仕事をする身でもあり、コタツ記事を量産する上で高須氏や丸山氏のTwitterを元にするケースはもちろんある。だが、今回のような名誉毀損リスクがあるものならば扱いは慎重になるし、取り上げるにしても対論になるソースを探すことになるだろう。

 また、中日新聞編集委員の「ネットでの報道に着目したルールは未整備」という言葉はそのままでは受け取れない。おそらく、スポーツ選手や芸能人のSNS投稿と同じように記事化して掲載していたのだろう。もっと言えば、スポーツ紙に限らず一般紙でもテレビ番組の発言を元にした記事は出しているし、海外で起こった出来事を「○○通信によると~」みたいな内容で紹介する記事だって太古からある。そういった記事とこたつ記事の違いは何なのだろうか? 自分にはわからない。

 つまり、朝日の記事の本質は「こたつ記事の是非」ではなく、「信頼できる情報源を見抜けない編集体制」だと個人的には考える。前述のように、高須氏の政治的な活動については相当に注意して見ないといけないし、そこに割く労力を考えるならば、西原理恵子先生と仲良くしている画像つきのツイートを記事にした方がコスパがいい。丸山氏にしても、自身が火だるまになっているツイートを選べば当人以外には延焼しないし、今回のデイリースポーツのNHK徴収問題記事にしても、e-GOVで放送法を調べて併記しておけば済む話だった。自分ならだいたい20分でリスクがないこたつ記事が出せた自信がある(ただ、PV/UUはイマイチになる可能性が高いから出すという判断は微妙)。だから、これは単純に「編集部と記者がお仕事できてません」という以上でも以下でもなく、こたつ記事そのものの問題ではないように感じられる。

 話は変わるが、このこたつ記事を巡って、本田雅一氏が語源の初出としてITmediaに当時の議論を振り返る記事を出している。

 本田氏がここで述べているテクノロジー系メディアの「ネットで情報を集めて書くことを推奨していた」という話は、1990年代後半から2000年代の主にPCを巡るメディアの空気感を踏まえておく必要があるだろう。雑誌からインターネットメディアへの移行期には、海外発のAppleの新製品のリーク情報がメールマガジンで配信され、それに一喜一憂するようなファンに多数読まれていた。振り返ってみると、真偽よりも憶測の方に耳目が集まっていたし、「エビデンス?なにそれおいしいの?」というユーザーも多かったように思える。なので、そこから現在のこたつ記事へ話を向けるのは、やや話に飛躍があるような印象を受ける。

 ところで、本田氏の記事ではTogetterのまとめのリンクが張られていたのだけど、そこの議論に自分も参加していたのだった。いや~、その頃の自分、えらく生意気なこと言ってますね!!

 ここでは岡田有花氏が「考える材料を提供することに撤して、あとは考える人に任せたい」とツイートしているのだけど、そもそもの話として対象を「記事にする」という時点において主観なりメディアあるいは執筆者の意図が現れる。そういったあたり少なくとも当時の岡田氏は理解が及んでいなかったし、失礼ながらその後に彼女がパッとしなくなった理由でもあるように思える。

 2010年当時だと、私自身は副業ライターでインタビュー・取材記事をネットで出す事と、ブログで論考のエントリーを公開することが活動の中心だった。そこからいろいろ辛酸を嘗めてライターが本業になり、より深くネットメディアの中の人としてお仕事をするようになって、若干考え方が変わったというか、よりメディア運営やコスト感を重視するようになった。

 こたつ記事に関しては、ソースをTwitterなどのSNSにしていることをやり玉に上げがちだ。だが、例えば新聞や週刊誌の「○○党関係者」「芸能事務所スタッフ」などの言葉の引用は、どこまで信憑性があるのか怪しいものは昔から珍しくない。足を使うなり、電話で聞くなりしたのかもしれないけれど、情報ソースの信頼性という観点でいえば高いとはいえないだろう。 

 ネットメディアのいちライターとしての立場だと、「記事化へのリソースをどこまで割くのか」ということに帰結する。自分の場合は以下のようにデフコンレベルが上がっていくという感じになるだろうか。

1、SNSの投稿をネタにする。
2、SNSの別の投稿を賛同あるいは反対、別の視点からの指摘のソースにする。
3、最初のSNS投稿をした人にメールあるいはSNSメッセンジャーでコメントを取る。
4、最初のSNS投稿をした人に電話あるいは通話アプリなどでインタビュー取材をする。
5、関連する投稿をしている人に対してコメント取りかインタビューをする。
6、関連領域の専門家へコメント取りかインタビューをする。

 取材とは別に、こういったコンテンツをひとつの記事として出すのか、別の記事として何回かに分けるのか、という判断も必要になる。その際に読者の反応を見つつ決めていく、というケースも当然ながら出てくる。まぁ、これが個人的な広義におけるこたつ記事の流儀になるだろう。

 ただ、ネットメディアのライターの場合はPV報酬があるところも珍しくなく、「数字を出す」ということが収入に直結する。自分の場合は編集やメディア運営の側に回ることもあるので、PV/UU/読了率/サイト回遊率/コンバージョン…etc これらのことを無視はできない。

 ここ数年の自分が心身を病むくらいに悩んでいたことは、「手間をかけて取材したコンテンツを出してもまったく数字につながらない」ということだった。はっきり言って、ポータルサイトのトピックスやニュースアプリにピックアップされる記事は、「手間をかけていない記事ほど乗りやすい」という傾向がある。自分など、取材している記事をいかに「取材していないように見せかけるか」ということに腐心さえしている。タイトルに「インタビュー」という文言は絶対に入れないようになったし、取材した内容にSNSの埋め込みを加えて少しでも「手足を使っている色」を薄めるようになった。

 今や、ネットメディアやポータルサイトにも新聞業界からの転職組が幅を利かせるようになっているし、彼らは「ネットの情報源のまとめ」を軽視する空気がある。もちろん、ネットが全てではない。ただ、同じことは「自分が足で稼いだ情報」にも言えるはずだ。となると、情報の信憑性を見極めるのは記者・ライターや編集の能力に帰結する。それが落ちている人がふつーにメディア関係者に増えているという事実こそが問題なのであって、各メディアでの教育が機能していないとも言えるだろう。

 いずれにしても、今回のこたつ記事論は周回遅れな上に本質的でないように感じられる。読者のタッチポイントであるポータルサイトやニュースアプリの中の人が「リテラシー教育が~」みたいなことをおっしゃっていると、「まず御社のアルゴリズムや体制をなんとかしてください」と思うし、どこかのメディアを辞めてクラスチェンジした人たちが「フェイクニュース」連呼しているのを見ると「ほんとむかつくわ~」としか思わない。いつだってしわ寄せは下流に押し付けられていくものだし、それが嫌なら上を目指すしかないのだけど、それだとメディアで働くということに対する希望がないし、「より良い記事にしよう」というモチベーションが生まれ得ない。個人的にはここに一番危機感を持ちますね。


 そんなこんなで、現場からは以上です。本年もよろしくお願い申し上げます。

 あ、トップ画像は本日の河野太郎規制改革大臣のオンライン会見に出席するの図。これも自宅から一歩も動いていないので、本来の意味での「こたつ記事」ですね!

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