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誰でもハードボイルドに近づく方法

今回の記事が需要があるのか、正直わからない。ハードボイルドという言葉をこの記事で初めて知った人もいるだろう。ハードボイルドとはざっくり言うと、主人公が悪漢に殴られたり刺されたり撃たれたりしながらも、諦めずに戦い続けるような物語のジャンル名だ。

そういう映画が大ヒットするのは難しいと思っていたが、「孤狼の血」の続編の人気ぶりを考えると、そうでもないようだ。先行きが不透明な時代には血生臭く泥臭い内容の物語は潜在的需要が意外と高いのかもしれない。韓国映画も凄い加熱ぶりだし。

それはともかく、私は昔からハードボイルド小説や映画が好きだった。昔は鍛えてなくて自信が今以上になかったから、単純に強いものに憧れていた。男の子がヒーロー物に憧れるのと変わらない。

当時の私はあまり非現実的な要素が好きではなかったので、目からビームを放つより、撃ったり刺したり殴ったりして問題を解決しようとする人達の話にリアリティーを感じていた。だから、今でも「イコライザー」とか「孤狼の血」みたいな作品に弱く、今年はアウトロー系映画が盛況でありがたかった。まあ今はスーパーヒーロー物も大好きなんですが。

そんなわけで、学生時代は大藪春彦や北方謙三の小説を好んで読んでいた。主人公の真似をして、度数の強いお酒に挑戦したり、深夜まで起きていたりしたことがある。今私が内臓にあまり負荷をかけたがらないのは、そういう無茶の反動だろう。おすすめしません。

そんな私が社会の荒波にちょっと揉まれてわかったことは、自分にはハードボイルドのハの字もない、という事実だ。

打たれたらすぐに泣きたくなるし、転んだら起きるのに時間かかるし、信念を脳で作っても、心身の負荷が強くなればすぐに忘れる。困難からは逃げ出すほうが多い。

いっそハードボイルドへの憧れはきれいさっぱり捨てて、等身大の自分でいようか。

そう悩んでいた時期もあったのだが、最近はそこまで悲観的にならなくても良いことに気付いた。

どんなにヘタレでもハードボイルドに近づくための努力方法はあり、それはそんなにハードルが高い挑戦ではない。そう思ったのだ。

その方法とは簡潔に言うと行動だ。ハードボイルドに近づく行動をする。

では、ハードボイルドな行動とは何か?そのヒントがハードボイルド小説家の第一人者レイモンド・チャンドラーが生み出した例の台詞だ。

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」

これは訳者によって解釈が違うし、個人的に「資格はない」は言葉が強過ぎて好きじゃないのだが、強くて優しい人と弱くて冷たい人なら前者のほうがハードボイルドっぽい。それに同意するのは私だけではないはずだ。

「それは違う、冷たくて強いのが真のハードボイルドだろう」と思った方もおられるかもしれない。貴方は恐らくこのジャンルに造詣が深い人で、ハメット等も読み込んでいるのだろう。それはそれで正しいのだが、ひとまずここでは「強くて優しい人」をハードボイルドということにさせてください。だって、強くても冷たければ、社会生活大変でしょう?犯罪で身を立てる男がフィクションで恰好良く見えるのはジェイソン・ステイサムが演じているからだ。現実では迷惑千万でしかない。

というわけで強くなる。優しくなる。そのための行動をする。

それが一般人がハードボイルドに近づくための確実な手段だと現時点では考えている。

身体を鍛えるのも良いし、感謝の行動を習慣化するのも良いし、困っている人に手伝うのも良い。失敗することも沢山あるだろうが、試行回数をを増やせば、行動改善の為の情報量が増えるので、確実に今よりはハードボイルドに近づく。

心の中が優しいかどうかは正直問題ではないと思う。脳は認識機能が割といい加減なので、行動すれば段々それが自分の本音のように錯覚してくる。逆に優しい人ほど自分の心の荒れ狂う状態を客観視する能力が高いことも多い。

さて、口で言うのは簡単だが、やるかどうかが問題だ。他人に強要するものでもないし、まずは自分がやって継続していきたい。

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。ちなみに個人的ハードボイルド小説のおすすめはロバート・B・パーカーの「初秋」です。フィジカルトレーニングのやる気が出ないときに読むのがおすすめ。







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