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税金と土地の問題をもう一度考えてみよう その4

執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰

お金が動くと税金がわいてくる

お金の流れを川の流れに置き換えると、おもしろい事実が見えてきます。お金を水と同じとして考えるのです。水は淀むと腐り始めます。水は川として流れれば、あらゆるものを運んであらゆるところに恵みを与えます。洪水は悲惨な災害ですが、田畑を肥沃にし、町や村を再生します。渇水も悲惨な災害ですが、溜め池をつくり、木を植え、森を育て、水を創成する知恵をもたらします。森を育てた水は海に流れて魚を育てます。水は川となり、やがて海に流れ、雲となり、雨となり、再び大地に返り、暫く大地にとどまった後に、再び川となり、そして海に還ります。

なにやら散文詩っぽくなりましたが、お金の流れと水の流れは、よく似ているといえば、きわめてよく似ているのです。流れていれば循環して再生するが、淀むと臭気を発して腐りはじめるのです。近代国家になって、国家が強制的に無償で貨幣を調達することにより貨幣社会が根付きました。この貨幣社会で困ることは、貨幣が動かなくなることでした。

税金の役割は、一つには「公共サービスの費用調達機能」があり、一つには「所得の再分配機能があり、一つには「景気の調整機能」という3つの役割と機能があるのですが、最後の「景気の調整機能」というのが、じつは曲者といえば曲者なのです。工業社会のシンボルとも言える大量生産システムは、簡単な図式でした。貨幣を動かす図式でした。モノがあれば欲しくなる。欲しくなればおカネを使う。おカネはどうすればいいか。働く場をつくればいい。働く場はどうしてつくる。モノをつくればいい。モノをつくって欲しくなるようにすればいい。欲しくなればおカネを使う・・・。鶏が先か卵が先かのパラドックスの問題はひとまず置いて、とにもかくにも大量生産システムが発明されてモノが大量に生産されるようになったのです。

そして、大量生産システムには労働力が必要でした。当然のことですが、労働力も大量に雇用されました。給料も紆余曲折はあっても時間給を基準に払われました。組合もできました。勝手に解雇されにくくなりました。賃上げ要求も可能となりました。将来がひとまず安定したのです。この後のリアクションは言うまでもありません。法人税や所得税や、住民税や消費税の出番です。「魚はわいてくるモノだ」。漁師がよく口にする言葉です。考えてみれば、税金もわいてくるようなモノです。魚がわいてくるためには、いろいろな条件が複雑に絡み合って、ときには、森を育てることまでが魚をわかせる条件だったりします。税金がわいてくるためには、税金がわいてくる「場」をつくりあげることがもっとも大切なことなのです。

しかし、現実は「はじめに税金ありき」です。その税金が何に使われてきたのか、何に使っているのか、何に使おうとしているのか。税金が果たす役割の「過去と現在と未来」が見えにくくなってきたのです。税金が果たす役割の「過去と現在と未来」を明確なビジョンとして描いていかなくては税金が消えてしまうのです。魚が、ある日突然、いなくなってしまうのと同じ現象をたどるようになるのです。 

税金は不公平にできている。

税金は不公平にできているのが当たり前なのです。租税負担配分原則は、国が提供する公共サービスの受益に応じて租税を負担することが公正だとする利益原則(応益原則)論と、経済能力に応じて負担することが公正だとする能力原則(応納原則)論に分類できます。

この論は、往々にして、こちら立てればあちら立たず、の水掛け論に終始します。税金をたくさん払ったからといって、サービスをたくさん受けられるわけではないのです。税金をたくさん払っていないからといって、サービスが少ししか受けられないというわけではないのです。税金は、国民の全員から集めたお金を、国民の全員で分かち合っていこうとすることを原則として生まれたモノだからです。つまり受益できるサービスの種類が決められたら、そのサービスが享受できる、できないに差別があってはならないからです。

健康保険や国民保険が適用できる病気は、誰でも同じです。保険料を多く払ったからといって、適用できる病気の種類に違いはないのです。しかし、税金の集め方には差別がある。不公平さがあることが前提となるのです。例えば、所得に応じて税額は変わります。わが国の場合は累進課税が適用されています。課税所得が10億円の人は最終的には、およそ5億円の税金を払わなければなりません。300万円の人は、およそ50万円の税金ですみます。ややもすれば、累進課税は、「お金持ちからとれるだけとって、私たち一般大衆に還元せよ」という論理が、ときとして正当化されます。このことは何を意味するかというと、累進課税の根底には、あきらかに「持たざる者たちの、持てる者への嫉妬」が生まれるのです。世の常として、持たざる者は多数者であり、持てる者は少数者です。

このことは民主主義の、ある一面ですが、とても都合良く使われることもあります。多数決と称して、結果平等主義を唱えるようになりのです。行き着く先は似非社会主義であり、お題目の一つとしての福祉政策の実施です。社会主義が上手くいかなかった現実を、わたしたちはイヤというほど目にしてきました。従業員が100人の会社があります。不況のあおりを受けて50人解雇しなければならなくなりました。

この場合、一人も解雇することなく会社を継続していく方法の一つとして、100人全員の給料を半分にする方法があります。算術的には、この会社は一人も解雇することなく100人全員の雇用を確保できるわけですが、それは瞬間的な、その場しのぎでしかなく、やがて、この会社は、さらに窮地に陥ってしまうことはあきらかです。理由は簡単です。目的が手段化したからです。人員整理のための人員整理が行われたのです。人員整理で得た費用を新規事業の開発、もしくは競争力のある製品やサービスの開発するための費用にして会社を建て直す。50人を解雇して、それによって発生した費用の何割かを資金にして再起を図るチャンスに臨む。この場合は、意味と目的が明確で、目的と手段がきれいに分離できています。

もちろん、目的と手段がきれいに分離できたからといって、新規事業の開発、もしくは競争力のある製品やサービスの開発が上手くいくという保証はありません。しかし、人員整理のための人員整理を行うよりは、上手くいく確率は高いはずです。結果平等主義を唱えるということは、目的が手段化する顛末をたどるケースが多いという話です。「持たざる者たちの、持てる者への嫉妬」は、税金を取るための税制改革に終始します。結果、持てる者は知恵を絞って専門家を雇って節税に走ります。税務署はサディスティックなまでに税の取り立てに走ります。(つづく)

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その5に続く→

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【杉山 彰(すぎやま あきら)プロフィール】

◎立命館大学 産業社会学部卒
 1974年、(株)タイムにコピーライターとして入社。
 以後(株)タイムに10年間勤務した後、杉山彰事務所を主宰。
 1990年、株式会社 JCN研究所を設立
 1993年、株式会社CSK関連会社 
 日本レジホンシステムズ(ナレッジモデリング株式会社の前身)と
 マーケティング顧問契約を締結
 ※この時期に、七沢先生との知遇を得て、現在に至る。
 1995年、松下電器産業(株)開発本部・映像音響情報研究所の
 コンセプトメーカーとして顧問契約(技術支援業務契約)を締結。
 2010年、株式会社 JCN研究所を休眠、現在に至る。

◎〈作成論文&レポート〉
 ・「マトリックス・マネージメント」
 ・「オープンマインド・ヒューマン・ネットワーキング」
 ・「コンピュータの中の日本語」
 ・「新・遺伝的アルゴリズム論」
 ・「知識社会におけるヒューマンネットワーキング経営の在り方」
 ・「人間と夢」 等

◎〈開発システム〉
 ・コンピュータにおける日本語処理機能としての
  カナ漢字置換装置・JCN〈愛(ai)〉
 ・置換アルゴリズムの応用システム「TAO/TIME認証システム」
 ・TAO時計装置

◎〈出願特許〉
 ・「カナ漢字自動置換システム」
 ・「新・遺伝的アルゴリズムによる、漢字混じり文章生成装置」
 ・「アナログ計時とディジタル計時と絶対時間を同時共時に
   計測表示できるTAO時計装置」
 ・「音符システムを活用した、新・中間言語アルゴリズム」
 ・「時間軸をキーデータとする、システム辞書の生成方法」
 ・「利用履歴データをID化した、新・ファイル管理システム」等

◎〈取得特許〉
 「TAO時計装置」(米国特許)、
 「TAO・TIME認証システム」(国際特許) 等

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