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<知識論>大事なものは、 すべて身の内にある その5【最終回】

執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰

5.人間には無限の実現力があるという。

本当ならば、この“無限の実現力“という言葉は“無限の能力”と置き換えた方がわかりやすいと思うのですが、私は、あえて“能力”とは、願ったことを叶える“実現力”である、と定義します。理由は後述します。

さて、知識に続いて、今度は“実現力”のお話ですが、このお話には「自信」と「確信」と「才能」という3つの言葉の認識が必要になってきます。

「自信」とは、自らがその存在に気づくことである。「自分には能力がある。望んだことは何でも実現できる」ということに気づくことは、自信に満ちることでもある。自信に満ちることは、他人の思惑はまったく無関係です。本人が自分自身で本人を評価できたかできないかだけの問題なのです。「やってみよう、できるに違いない」と行動を起こすことなのです。たとえ挫折しても、自信が揺るがなければ何度でもやり直すことができます。この繰り返しをやって、寂しい人生を送ってしまったという話は、いまだに聞いたことがありません。

ちなみに広辞林によると、「自信」とは、“何かを成し遂げた結果における本人の評価である。他人の評価や意識は無関係なのである”。また「確信」とは、“何かを成し遂げた結果を本人が自らを評価し、同時に他人からも評価されたときの結果としての、本人の意識である”。さらに「才能」とは、“何かを成し遂げた結果や、その結果の蓄積における他人の評価であり意識である。才能があると言われた本人の意識は無関係である”と、それぞれ定義されています。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、「人間には無限の実現力がある」とする根拠は、前の項でお話しした「知識は利用してはじめて顕在化する」という仮説と関係します。何かを実現するためには、何かを実現するための知識が必要になります。大切なのは、気づくことです。そして、決してあきらめないことです。人間には無限の実現力があると気づき、そして“願えば叶う”と信じ続け、願ったことを決してあきらめなければ、その願いは必ず叶います。これは必然です。

但し、その願いが、いつ叶うかは悲しいことですが偶然なのです。自分が生きている間に叶うこともあれば、自分の後継者が次の世代で叶えてくれるかもしれません。そのためには、その願ったことをより具体的に記録として残しておくことが不可欠です。願った本人は、既にこの世にはいないが、願った本人が書き残しておいた記録が引き継がれていけば、いつの世代とは明言できませんが必ず実現します。

人間が言葉を繰るようになり、そして文字を発明して歴史を残すことが可能となりました。歴史は記録によって創られていきます。前述した「人間は誰もが均等に、この世に生まれ出でた時点で既に与えられている」という仮説を受け入れることです。そして何でも実現できる能力を持っていると気づいたら、その知識のひとつひとつを確認していくことです。しかしここで大切なことは、<確認>と<覚える>とはまったく違うことなのです。

 6.まだ半分ある。もう半分しかない。

所有しているものを分け与える、もしくは使っていく場合、往々にして、「もう半分しかない」という不安がよぎる分岐点というものがあるようです。この分岐点を境にして時間の速さが変わってしまうようです。それまでは、ゆったりとした気分でいたものが、無くなってしまったときの未来を想像し始めて、余裕が無くなってしまうのです。ですから所有には、たとえその時点で充分に所有していたとしても、たえず獲得する、増やすという行為が不可欠になるのです。ときには、獲得する、増やすという行為が争いごとに発展するケースが多々あります。

人間と人間との争いのほとんどは、限られたものを分かち合う過程において発生しています。たくさんあるうちは、余裕に満ちた微笑みを交わし合うことができるが、残り少なくなると不安と恐れと猜疑心が微笑みを打ち消していく。しかし、前述したように、知識とは、人間が生まれたときから同じだけの量を持っているものであるとするなら、そこには奪い合うという行為は消えて、与え続ける、交換し合うという行為が永久に続くはずです。そうでない限り、いずれ、自分に能力があるかないか、それが実現できるかできないかで悩むことになります。まだ、やってもいないのに、すでにやったとして、やった後の結論を自分で出して悩むようになるのです。人間は望めば何でも実現できる能力を持っている、と気づくことができたか、できないかである。もし、気づくことができない場合は、やがて自分に能力があるかないか、それが実現できるかできないかで悩むことになるのです。まだやってもいないのに、すでにやった後の結論を自分で出して悩むようになります。(了)

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【杉山 彰(すぎやま あきら)プロフィール】

◎立命館大学 産業社会学部卒
 1974年、(株)タイムにコピーライターとして入社。
 以後(株)タイムに10年間勤務した後、杉山彰事務所を主宰。
 1990年、株式会社 JCN研究所を設立
 1993年、株式会社CSK関連会社 
 日本レジホンシステムズ(ナレッジモデリング株式会社の前身)と
 マーケティング顧問契約を締結
 ※この時期に、七沢先生との知遇を得て、現在に至る。
 1995年、松下電器産業(株)開発本部・映像音響情報研究所の
 コンセプトメーカーとして顧問契約(技術支援業務契約)を締結。
 2010年、株式会社 JCN研究所を休眠、現在に至る。

◎〈作成論文&レポート〉
 ・「マトリックス・マネージメント」
 ・「オープンマインド・ヒューマン・ネットワーキング」
 ・「コンピュータの中の日本語」
 ・「新・遺伝的アルゴリズム論」
 ・「知識社会におけるヒューマンネットワーキング経営の在り方」
 ・「人間と夢」 等

◎〈開発システム〉
 ・コンピュータにおける日本語処理機能としての
  カナ漢字置換装置・JCN〈愛(ai)〉
 ・置換アルゴリズムの応用システム「TAO/TIME認証システム」
 ・TAO時計装置

◎〈出願特許〉
 ・「カナ漢字自動置換システム」
 ・「新・遺伝的アルゴリズムによる、漢字混じり文章生成装置」
 ・「アナログ計時とディジタル計時と絶対時間を同時共時に
   計測表示できるTAO時計装置」
 ・「音符システムを活用した、新・中間言語アルゴリズム」
 ・「時間軸をキーデータとする、システム辞書の生成方法」
 ・「利用履歴データをID化した、新・ファイル管理システム」等

◎〈取得特許〉
 「TAO時計装置」(米国特許)、
 「TAO・TIME認証システム」(国際特許) 等


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