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今改めて考えてみたい、お米の価値

こんにちは。
Parole編集部です。

日々の朝拝の後に、日々の様ざまな気づき、また、その時に最も重要だと思われる情報を共有するための時間があります。

様々なテーマでその日のお話をご紹介している本シリーズ、今回は「お米の価値」にまつわるお話しがありました。

古くから、新嘗祭、大嘗祭といった天皇祭祀とも密接な関わりをもってきた、米。
その米と日本人が歴史の中でどのように関わってきたのか?
また、かつて米にはどのような価値があったのか、といったことについて語られています。

それでは早速、ご覧くださいませ。

おはようございます。

私たちは今、
とほかみ講という活動を
やっているわけですけれども、
その目的に、日本の食を守るとか、
土地を守るということがあるわけです。

今後のお米の確保というところを
ちょうど今、大事に思っていて、
お米というと、普通に皆さん、
数あるうちのひとつというか、
いろんな食材のひとつ
というふうに考えられるかもしれません。

ところが先般、伊勢の方に行きまして、
新嘗祭とか、大嘗祭がありましたけども

そういったもので関係するのは、
必ずお米ということになるわけですね。

悠紀田(ゆきでん)とか、
主基田(すきでん)ということもあります

現状日本が、どういう状態かといいますと、
このお米の価値というのを
非常に軽んじている、というところがあります。

本来は、このお米というものの中に、
人間を生かすあらゆる栄養素が
入っていると言われているんですね。

それが戦後GHQによって、
小麦の方に日本人が食を転換するように
上手くもっていかれた、
ということがあったんですね。

ですから、最近の若い人たちの考え方とか、
スタイルとかはいろいろ違いますけども
やはり食の違いが非常に大きい、
と言えるところがあります。

よく言われますけれども、
人間というのは食べるものと、
普段何を考えるかで決まると言われます。
そういった食べ物も考え方も
変わってきているというのが、
現状の在り方だと思うんですね。

一方で、これから大事なことといいましょうか、
来年以降、これは別に
確定しているわけではありませんけども、
場合によっては食糧難とか、
そういった事態も予想されるわけなんですね。

そういった中で、
改めてお米について考え直してみますと、
これは以前から、大昔ということで考えると、
お米はイコールお金だったんですね。

例えば、江戸時代とか、
それ以前を思い出しても、
よく何万石の大名と言います。

それはお米の量で、
いうなれば大名ごとの収入が違う
という意味であったり、
また税金もお米で納める
ということであったわけですね。

ですから、
お米というものはお金そのものであり、
またそれで価値を持っていた
ということです。

同時に、それで日本人が生きてきたという、
命を繋いできたというところがあるわけです。

これからお米をより大事にする
という意味において、
当然土地も守っていきますけども、
そこを改めて考え直す時期がきたな
と思っております。

先般、代表も「思考の際を見るんだ」
ということをおっしゃっていたのですが、
こういう物事の大事さというのは、
ただ漫然と考えても
出てこないというんでしょうかね。

自分の思考がどこまで広がるかという、
その際があるんですけれども、
ちょうどその際の部分に、
神話との接点が出てくる
わけですね。

そういった中で、
何が本当に大事かということを、
もう一度捉え直していかないと、
自分の通常の思考の中に埋もれてしまって、
いわゆる一般的な世の中の情報操作に
引っかかってしまうんですね。

ですから、自分の思考というものが
正しいかどうかという検証も含めて、
その際をしっかり理解することが
必要になります。

その際を超えたところにこそ、
本当の世界があったりするんですが、
そこをしっかり掴めるような、
自分の在りようというのを
模索していただきますと、
全く自分の思考を超えた理解、
また思考を超えた力というものが、
今後発揮できるようになります。

そういった力を発揮するための
お米でもあるということで、
今後お米の価値をしっかり認識し、
大事にしてやっていきたいと思います。

よろしくお願いします。

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