等身大と現実
執筆:ラボラトリオ研究員 山澤
公人のレベルは、真面目・等身大・親切であると言います。
どれもが大切で素敵な要素だと感じますが、
私の場合は、
「等身大でいること」
ということは一見簡単なようでいて、
なかなか難しいことのように感じます。
辞書をひくと
とうしん‐だい【等身大】とは、
1. 人の身長と同じ大きさであること。
2. 誇張も虚飾もない、ありのままの姿。
3. 持っている力に見合うこと。
と、書かれていますが、
2番目の、
「誇張も虚飾もない、ありのままの姿の自分」
を、果たして自分は正確に見れているのだろうか?
それから、そんな自分を受け入れることができているだろうか?など、
一度悩みだすと止まらず、
底なし沼に嵌っていくような感覚に陥ってしまうことがあるのです。
自分が子供の頃に見た「大人」は、もっと大きな存在であったように感じたのに、
実際に両親が結婚して、自分を産んだ時の年齢を過ぎても、子供の時に感じたような「大人」には程遠いように感じたり...
人から見ればとても些細なことだろうという自覚もあるのに、いつまで経ってもそのことにこだわってしまったり...
言霊を学んでいる最中の今でも、相変わらず
小さな悩みやコンプレックスとの戦いは尽きません。
とくに、子供の頃に感じた「大人とはこういうものなのだ」という理想像が分厚いフィルターとなり、「現実の自分」とのギャップに苦しんで等身大の自分を受け入れるのに、抵抗を感じてしまうのかもしれないと思うのです。
自分自身と向き合うということは、見て見ぬふりをして蓋をしている部分に気づき、心を開いていく作業でもあるので、本気で取り組めば取り組むほど、ものすごく勇気が必要になってきます。
しかし裏を返せば、
等身大でいるということは、ありのままの自分を見て受け入れるということは、「勇気一つでできる」ということなのかもしれません。
そうは言っても、なかなかその勇気を持つことのが難しかったり、
そのようなことを考えること自体、困難な状況であったりする場合もあるかもしれません。
何もかもが早く進んでしまうのが今の時代なので、
効率的に、一刻も早く状況を変えたい!
自分を一気に進化させたい!
という気持ちに急かされてしまうことは、きっと誰にでもあると思います。
しかしそんな時こそ、一度、立ち止まってみてはいかがでしょうか?
もちろん、スピードが大事な局面も沢山ありますが、
それに振り回されてしまうと、どうしても気持ちが辛くなってしまったり、
逆に自分を見失いやすくなってしまうこともあるので、
「自分のペースで進むこと許す」
というのも、大事なことなのではないかと思います。
とくにこれは、ありのままの自分を受け入れる時の姿勢として
これは役に立つ、と最近思えるようになりましたし、
そして自分のペースで進むことを許し受け入れてからは、ずいぶんと気持ちも楽になりました。
もしも私と同じような気持ちの方がいらっしゃったら、私の体験を、思案する際の材料の一つにしていただけると嬉しいです^^
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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【山澤 プロフィール】
ラボラトリオ研究員。
『和の成功法則 ザ・ワープ』を受講した母親の影響でロゴストロンや白川に出会う。主に事務方を担当。
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