見出し画像

ギタリストは絶好調の時に演奏をきれいに録音をしておくと「種」となるかもしれない

先日世界の歓喜となったビートルズの最後の新曲を思い返していてふと思ったことです。

どういうことかというと、今の私自身が「ギターを以前のようにちゃんと弾けない」からです。

人っていつなにがどうなるかわかりませんので、自分が絶好調とかそういう時に、自分の演奏をそれなりにきれいな形で録音しておいた方が良いのでは、と。
そのような形で音源が残っていれば、後からAIなりの力によって、何らか自らが演奏しているかのように扱える時代が来るのも素人の趣味のレベルでも時間の問題でしょうから。
コンピュータがより扱いやすいようBPM60や120にでもしておけばわかりやすいかな??

サンプリングした音源をDTMなりでマッピングして使うのは既は言わずもがな、それでも現状は「人間の演奏そのもの」と同じとは言い難い、あるいは相当に寄せられるにしてもまだまだ多くの手間がかかる。
だからこそ打ち込み全盛の今でもギターだけは人の手で、もまだまだ少なくないわけですし…。

自分の細胞を若く活力のあるうちに保存しておいて、その後必要になったときに使う…文字通り「種」を残しておけば未来に必要な時に誰かがそれを「育ててくれる」かもしれません。

ひとつ大事に述べておきたいのは、それがたかだか趣味の素人が残したギターの音であっても、未来の自分自身、あるいは自らは果てた後の家族や近しい誰かの手に渡ることにより、その種をAIなりを活用することでこのうえない喜びかなにかを得られるかもしれない、ということ。

楽器演奏に限らず、創作をする方々は自身の作った作品を「子ども」とよく形容しますよね。
まさに、創作者にとって自ら進んで種を残しておくのは、ただの記録に留まらず、これからははっきりと未来にそれを託す行為となのでしょう。

そういうわけで…もう止めることはどうやっても無理な、AIなり新しいテクノロジーなり、まあ、これからは上手に付き合っていくしかないっしょないっしょ。

という…既に散々に擦れ擦れに擦れたことをぼんやり思いましたとさ、まる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?