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平成死亡遊戯

卒業論文を書かなくてはいけない。この4年間が泡となる。
気合を入れるべく窓を開ける。暖房と夜風どちらが勝つだろうか。透き通った風が部屋を駆け巡る。この風。あの時とおんなじだ。

あの山の向こう、の向こうの向こうにはかつての友達がいた。最初は、私のホームページに向こうが自作の小説の宣伝をしに来たんだった。あの小説、いつまで経っても完結しなかったし、次々と新作を打ち立てては削除するし、たまに書き出しがよくて期待していたのに書き上げないから不満だった。

当時私は不登校で、やることもなく暇をしていた。ホームページに書き込まれた宣伝には全部コメントを返して訪問したし、小説を書いているなら、全部目を通していたと思う。そんな私の社交辞令に”吏依子”さんはえらく喜んでいた。

「感想、ありがとうございます。もしよければ絡みませんか」

絡む、とはネット上でその人とつるむみたいなことだと解釈している。仲良くすることとはつまり「私はこの人と似たような人ですよ」というのを誇示するような意味合いも含まれると思う。学校ではヒエラルキーやマウンティングの手段になりうるが、当時のネットの世界では全く意味を持たない。アルファツイッタラーはいないしそもそもツイッターもまだない。とにかく、その人のおしゃべりに付き合うことにした。

「菜緒さんは小説書かないんですか」
「読むのは好きですが、書くのはやったことがないです」
「わたし、菜緒さんの小説読んでみたいです」

みたいなやりとりが続いて、結局私が小説を書くことになった。しかも、吏依子さんの書いた小説の続きを書くことになった。寒空の中、窓開けっぱなしで一晩中物語のことばかり考え、だらだらと書き連ねて、ホームページに載せた。

「吏依子さん、更新しました」
「そうですか。確認してみます」
「どうでしたか」
「凄い……文句なしに面白かったです」

それからというもの、私はだらだらとケータイ小説を更新し続けた。文章を書くことにやりがいを感じ始めた。今まで苦しんできた宿題の類で、国語系はやってみようかなという気持ちになった。
ある日、吏依子さんのことを実はわかっていないなあ、と思い至った。それが不思議に思うくらいには毎日会話しているので、踏み込んだ質問をしてみた。

「吏依子さんは、何してる人なんですか」

これには、返事が遅かった気がする。

「都内で、風俗嬢やってます」

あーなるほど、と思った。小説の内容が下ネタに走りがちなのはそういうことか、と思った。

「大変ですよね」
「いいえ。まったく」
「疲れますよね」
「他の仕事よりよっぽど楽です」

以上の文面からわかるように、なんと会話を切り返していけばいいのかわからなかった。風俗嬢に対するイメージなんて、お金に困っているくらいしかない。吏依子さんはそこらへんどうなのか。ものすごく知りたいけど、聞けるわけない。その日は、すぐにチャットを落ちた。
それから、吏依子さんは私に愚痴をこぼすようになった。客の横柄ぶりを事細かく描写し、吏依子さんの感受性を無視したコミュニケーションを強要される光景がありありと浮かんだ。端的に言えば、オプション行為をサービスしろみたいな。当時の私はいたく同情し、何が何でも私がこの人の力にならねば! と思っていた。だから、東京に行って吏依子さんに会う約束をした。

それを機に、メールアドレスを交換した。吏依子さんの本名は悠佳と書いてはるかだった。その情報はあまり活用することがなかった。
というのも、東京行きを断念したからである。吏依子さんは、リストカッターであった。手首を千切りにした画像を連日送りつけることをした。初めての経験で、どうしていいかわからないけど、私の痛覚を詰るような気持ちになり、迷惑メールに登録した。私は出産シーンも殺人シーンもスプラッターもいまだに目の当たりにすることができない。血なまぐさい光景は元から気分が悪くなるが、この時から余計に駄目になった。

小説を書いていたホームページもひっそりと削除した。でも東京行きのチケットは取ってしまったため、観光だけしに行った。浅草寺でもんじゃ焼きを食べたが、最後まで何が正解の食べ方かわからないまま店を後にした。花やしきでとりあえず暇をつぶしたが、並ぶのが死ぬほど嫌なので一個もアトラクションに乗らなかった。つまり、退屈だった。
浅草と言えばストリップ劇場なので、風俗もあるのか見てみることにしたが曲がり角から通りの空気が一変したのを感じて引き返した。夜風がわたしを追っ払うかのように吹き込んだ。やっぱり、住む世界が違うんだろうか。
あれから10年が経った。今となってはストリップ劇場を鑑賞したことがある。風俗はさすがに行ったことがない。友達の中でキャバ嬢になった人はいるが、風俗は踏みとどまっている。そんなにタブーな職業でもないと思うけど。

卒論のめどが立ったので、”吏依子”で検索してみる。Facebookを避けて、ツイッターも避けて、ページを捲って捲って、あのサイトが出てくるのを待っていた。

あ、あった。「ブレイク・タイム」。

やはり10年前で更新が止まっている。どこか、現在の手がかりがないだろうか。ブラクラを恐れながらバナーをクリックしては、リンク切れを発見したり、閉鎖を確認したりして、数々のブログを経由してひとつのURLに辿り着いた。

@ haruka_yayoi

ツイッターが一時間前に更新されている。最新の画像は、幼稚園児だろうか。顔にモザイクがかかっているけど、ちゃんとアイロンのかかった制服をきている。
悠佳さんは、今ライターをやっているみたいだ。何件か記事のURLを載せている。よかった、グルメ系ばっかりだ。