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エキシビジョンレポート『第72回東京藝術大学卒業・修了作品展』 @東京藝術大学・東京都美術館 #002

先日行った、東京藝術大学(以下藝大)の卒展のレポートの続きです。ぼくの学歴は高卒で、大学、ましてや美大という中に流れる時間を想像することはできても思い出すことはできません。だから卒展みたいな機会でキャンパスに入ると、記憶が錯覚を起こして10代の頃の感覚が全身に蘇ってくる感じがあります。何も学びたくなんかなかったし、自分には才能があると信じきっていたあの頃のぼくが、廊下を横切るような瞬間が何度かありました。

というわけで、今回も数多くある作品の中で、自分の感性の赴くままに立ち止まって、琴線に触れたものだけ紹介させていただきます。アートを見る楽しみ、想像する喜びみたいなものを読んでくれたひとと分け合えたらと思います。


辰巳寧々さん 《Shape of Human》

アートを鑑賞するとき、ある種の『霊性』を大事にしている。第六感と言われているものとは少し違くて、五感と記憶を駆使して手繰り寄せる感じ。宗教における信仰に近い。つまりアートは疑うのではなく、信じると楽しい。

「人の形」という意味を持つタイトルを掲げた辰巳寧々さんの展示空間に入ると、全身が喜ぶ感じがあった。壁いっぱいでは足らず足元にも広がるさまざまな「人の形」。何気ないポートレートも、破れてつぎはぎになった絵も、描きかけのように見える絵も、ヒソヒソと独白している。私たちはどこから来て、何を目的に存在をして、そしてどこへ行くのか。作者自身のそんなありのままの葛藤が絵から聞こえてきそうだった。「絵に魂を込める」というとチープに聞こえてしまうけれど、魂を感じる作品が少ない卒展の中で、確実に揺さぶられた。

インスタにアップされたキラキラした誰かの日常を、バキバキに割れたスマホの画面越しに見ている的アートとでも言おうか。This is 現実。とにかく現実。ぼくらの行く先を考えながら見ることで、絵の中に、ぼくらの行き先を見たような気がする。


奥山鼓太郎さん《display》

深く読み込みすぎて、作品が入ってこないタイプのステートメントが好きだったりもするし、ステートメントを読んで理解できなくても、なんとなく見ていて楽しい作品が好きだったりもする。スマホやタブレットに写った景色が印象的な奥山さんの油画は、まさに見ているだけで楽しい。その描写力は見事だし、視点はおもしろい。何よりもひたすら構図やモチーフ選びが気持ちいいなと思って眺めていると、なるほど、さまざまな名画をメタファーにしたつまり過去の古文書を現代語に翻訳したような作品だということがわかった。レモンのメタファー。自画像のメタファー。作者自身が用意してくれたステートメントやネタバレノート(どんな絵を参考にしているかを記したノート)を見て2度、3度楽しむことができたのもよかった。

わざわざなぜこれを描いた、と言いたくなるような作品が好きだ。


梅本匡志さん 《Zion》《自画像》

1つ前のレポートで、「わざわざなぜこれを描いた」と言いたくなるような作品が好きだ、と言ったけれど梅本匡志さんによる油画もまさに。気になって SNS を見てみると一貫して友人やパートナーと思しきひとをひたすらまっすぐに写真に残すみたいに描いていて、深く納得した(たざきくんがフォローしててさすがと思った)。

海岸で友人たちと過ごした、何気ない時間と風景の描写も、朝から夜までの表現をグラデーション的に入れることで、やけに愛しい時間に思えてくる。それぞれに大きなドラマがあるわけでもなく、ただただ一緒にいる。確かにそんな時間がかつてあった気がして、自分の思い出のように思えてくるのだ。だって思い出ってこのくらいあいまいなグラデーション、バイアスがかかってるよね。

理想の場所や聖なる故郷のような意味を持つ『ZION』というタイトルがまた、さらにこの何気ない日々・瞬間を豊かに魅せてくれる。

鏡に写ったアトリエを描いた作品もよかった。後とか前を見てしまう。そういうふうに作ったとは思うのだけれど。絵って楽しいなって思った。

アハメッド・マナンさん 《めっちゃデカい家族写真(自分を含めた)と、こうならないであろう自分の絵と、こうなるかもしれない自分の絵》

マナンさんの絵が飾ってある空間は、マナンさん色に染まっていた。ぼくが同じ空間を割り当てられていたらたまったものじゃなかったろうな。そのくらいのエネルギーが充満していた。宗教画のような神々しさと、グラフィティのようなストリート感、カジュアルさが共存している巨大なキャンバスに描かれた油画。タイトル長い(笑)。

写真では写しきれていないけれど、中央は家族写真。左右に自画像と思しき絵。
床に《横たわる自分(いつかこうなる自分)》というタイトルの絵。
自画像

以下、本人によるステートメントの抜粋。死をテーマにしているのにどこか画風がユーモラスなのが気になる。

私の父は海外出身で、宗教上の理由で土葬をしなければいけないことを家族との何気ない会話から知り、また同時期にニュースで日本国内における外国人墓地建設の受け入れ問題なども見聞きした。これを機に今まで私自身がどのように弔われ、そして埋葬されるかという事に無関心だったことや、私の生まれ育った日本という環境の火葬率が99%以上の状況に、父と同じ宗教(家族)でもある私が懐疑性を抱いていなかったことへ目を向け、埋葬行為の様式を選択出来る状況が現在の社会ではまだ少ないことや、私含め家族の中に土葬という選択肢がある事を再認識した。

あと3人います。

※ 卒展はすでに終了しています

加藤淳也(PARK GALLERY)

1982年山形出身。東京・末広町の PARK GALLERY のオーナー兼ディレクター。写真家を中心としたクリエイターのエージェント業や制作会社でのディレクター業を経て2012年に独立。現在はギャラリー運営の傍らアートディレクターや編集者として、東京を拠点にさまざまな地域の魅力を発信する活動を行なっている。主な仕事に、佐賀の観光ガイドブック「さがごこち」、宮城県石巻の総合芸術祭「Reborn-Art Festival 公式ウェブサイト(2019〜)」、岩手県野田村「ON&OFF Village 公式ウェブサイト」、東京新聞「STAND UP STUDENTS」など。

ヒップホップユニット WEEKEND(〜2012年)として Fishmans のベーシスト柏原譲氏や fofubeats 氏らとのコラボレーションによって制作したアルバムをリリース。

https://www.instagram.com/junyakato_parkgallery

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