COLLECTIVE レビュー #46 ひげおんな『some kind of happiness』(大阪府)
LOVE LETTER というのをもらった記憶があまりない。手紙を書く文化がなくなるほど若くもないし、手紙しかないというほど歳はいっていない。ぼくのことが好きだとペンを取る人がいなかっただけだと思う。ただ、1度だけ、高校生のころ、LOVE LETTER をもらったことがある。正式にはもらっていた、らしい。
ぼくは部活に熱心だったので、ほぼ部室に入り浸ってた。校舎裏の部室の前に自転車を停めて、部室で自分のバッグから指定のカバンに教材を入れ替えたり、スニーカーから上履きに履き替えたりしていた。共通の下駄箱があるのだけれど、そこは部室からも教室からも遠くて使ってなかった。卒業が近づき、2年も3年も使っていなかった下駄箱を掃除のために開けると1通の手紙が入っていた。内容といえば「話す機会は少なかったけれど、同じクラスでいられた2年間が、幸せでした、ありがとう。Aより」というものだった。いつ届いたかもわからない手紙を、そっとポケットにしまい、その後のことは覚えていない。Aの気持ちよりも、手紙というメディアの独特な強さに、耐えられなかったような印象だけが残っている。
COLLECTIVE ZINE REVIEW #46
ひげおんな「some kind of happiness」
ロンドンを拠点に東ヨーロッパを旅した後、大阪に戻って ZINE 制作などを中心に表現活動を行なっていたひげおんなさんが2021年に引き続き ZINE を送ってくれた。この夏、ドイツはベルリンに移住するらしく、その前の置き土産のような作品にも見えた、その作品のタイトルは「some kind of happiness」。翻訳機能を使って訳してみると「ある種の幸せ」と表示された。詩のようにも思えるけれど、これは詩ではなく手紙だというエクスキューズが入る。恋人なのか、恋人のようなひとなのか、恋人だったひとなのか、に、宛てた、短いラブレターだった。創作の際は、美しさと透明感を大事にするというひげおんなさんの、潔いまでのデザインとモノクロームのアートワークが冴える。
ふたりで過ごした愛の時間の再確認とも取れる手紙は、これでおしまいという手紙にも取れるし、Aに届かないことをわかった上での、自分のための手紙にも思える。
その中に正解なんてなくてよくて、手に取った人が好きに読み取ればいいと思う。
勝手に想像しながら楽しむことができるのも ZINE という小さなメディアの枠の特徴だと思う。SNS ではすこしうるさい。
おそらく(とまぁこんなふうに添えれば好き勝手言っていい)。ずっと一緒にいたパートナーと一緒に飲でいたコーヒーの豆が、ドイツに行くために片付けていた部屋に残っていて、その粉や豆で、香りという記憶を手繰り寄せながら、かたちを作ったり、表現したくなったのではないか、と思う。両手で、救った時のコーヒーのにおいを、しっかりと記憶して、ベルリンへと、ひとり旅立つ。
where is the end of oun love?
正解はわからないけれど、想像して楽しむ。そういう「余白」や、「隙間」が ZINE にはたくさんあって、楽しい。
気になる人は、それぞれの「おそらく」を聴かせてください。
そういえば、あの時、下駄箱で見つけた手紙の意味を結局本人に聞けないまま、東京に出てきてしまった。どこにしまったのかも覚えていない。本当にもらったのかもいまとなっては定かじゃない。おそらく、返事もしない最低なヤツと思われたかもしれない。でも、そんなことはいまとなってはどうでもいい。この ZINE みたいに、宛先のない手紙のようなものだ。
レビュー by 加藤 淳也
---- 以下 ZINE の詳細とそれぞれの街のこと ----
【 ZINE について 】
ホットヨガ中に思いつき、帰宅後すぐ制作にとりかかりました。
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