『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #42 『女生徒(富嶽百景 / 走れメロス 他八編 より)』 太宰治
2024年8月15日の一冊
「女生徒(富嶽百景 / 走れメロス 他八編 より)」太宰治 作
(岩波版ほるぷ図書館文庫)
近代文学って、作品や作家の名前はよく耳にするけれど、実際はそのほとんどをあまり読んだことがない‥。それが実情。
”近代文学” というと日本においては、明治から昭和戦前期の文学の総称。または、1945年から1964年にかけて刊行されていた文芸雑誌のことを指しているらしい。具体的な作家でいえば、夏目漱石、坪内逍遥、二葉亭四迷、森鴎外、芥川龍之介など。
私が初めて読了することができた近代文学は、太宰治の『人間失格』だったのだけれど、なぜかというと、非常に読みやすかったからだ。
自分の乏しい読解力を持ってしても「おっおもしろい‥」と呟くに至ったのは太宰には特別な何かがあるからなのだろう。あるいは、やはり人間というものは、同じ人間の駄目な部分や弱い部分を知って共感するんだか、喜ぶんだか、胸の奥深くをくすぐられる快感だかを得てしまう、そんな生き物なのだということも感じながら、自分のそんな醜悪な部分に気がつき苦い気持ちになったことを覚えている。
とはいえ、読めるもんは読みたい。太宰なら読める。と意気込み、次に私が手にしたのがこちら。『富嶽百景 / 走れメロス 他八編』。それに収録された『女生徒』という作品が今日の一冊。
以前知人と、前述したような太宰についての話や、萩原朔太郎の『猫町』の話題をとしていた際にさらに発展して『富嶽百景』をお勧めされた。それがきっかけで、思いがけなく胸打たれたのが、『女生徒』だったのである。
”女生徒” 目線で淡々と刻々と語られるある一日。最初から最後まで ”女生徒” を主観とした世界が綴られる。
あさ、目を覚ました瞬間、起きた瞬間の気分。見えるもの。身支度の時間の憂鬱。電車。乗客を観察する。不愉快。突然歌ってしまう自分。おかしなことを考える自分。おかあさんの態度。近所の夫婦が鬱陶しい。自分のあさましさ、醜さ。本を読む。世の中のおかしさ。鏡に映る自分のかわいさ。幸福について。眠りに落ちる瞬間。
そのような陰鬱や嬉々とした情緒が、めくるめく変わり、ころころと転換していく ”女生徒” の不安定さが巧みに描かれている。
支離滅裂であるものの、そのこと自体が “女生徒” である “人間の女のそういうとき” を見事に描き切っている。理屈では言いようのない激しい感受性に、共感といった言葉のみでは言い得ることのできない想いを抱く。
”女生徒” が羅列する言葉たちを飲み込んだ末に「これ、昨日の私だ」と思わず溢れてしまうのだ。
感情の振り幅が広く、一秒後には気が変わっている。しかし、世の中の物事からとらえられる自己への本質は確かなものであることも垣間見える。
女だ、男だと区別することではないのかもしれないが、”女生徒” である彼女自身の、”女” であることも含めた個性が、彼女自身の信念を強くしているように感じる。同時に、太宰自身のなかに “女生徒” が生きているのだろうかとも想像を馳せる。
こうして “女生徒” の奥に宿る、鬱憤と妄想と幸福を覗き見ては、同時に己の内側を覗き見られているような気分になり、何度も読み深めてしまうのだ。
ちなみに、『富嶽百景』は、『猫町』/ 萩原朔太郎や、以前この連載でも紹介した『貧困旅行記』/ つげ義春などと合わせて読むとより紀行文学的おもしろさが増すのでおすすめ。
おそらく義務教育を受けたほとんど人が、小中学校どちらかの教科書でも学んであろう『走れメロス』は、又吉直樹さんの YouTube で、髑髏万博先生による新解釈を読み解くことができて非常におもしろいので必見です。
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