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『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #15 『歩くひと』 谷口ジロー

#15
2023年1月25日の1冊
「歩くひと」谷口ジロー 著(小学館)

「ちょっと歩いてくるよ」

そう一言を放ち、妻に送られながら外へ出かけていく男。「歩くひと」。

ひと度歩き始めれば、止まらない。街を、路地を、犬と、雨の中を、図書館へ、夜のプールへ、時には木に登り、水たまりを渡り、朝も、昼も、夜も、春、夏、秋、冬。
そこに道があるならば、道がなくても歩けば道なのだと言わんばかりに、歩く、進む。

ゆく先々で出会う人、街、景色、風、空気、匂い。これらが心を満たしてくれる。ただ黙って歩く。歩けば歩くほど、移ろいが止まらない景色の中に吸い込まれては、その先で出会うものに感動する。歩くというシンプルな行動がもたらす、当たり前のようでいて必然ではない現象。

『歩くひと』は1990〜91年に「コミックモーニング」に掲載された、漫画家・谷口ジローが世界に”発見”されることになった傑作漫画。『孤独のグルメ』や『神々の山嶺』『坊ちゃんシリーズ』の作画など多数作品で知られる、日本を代表する漫画家の1人です。フランスなどヨーロッパでの評価も高く、ドラマ化や映画化されたことでその名を世界に轟かせました。

言わずもがな、谷口氏の作画には見る者に度肝を抜かせるほど、迫り来るリアリティ、目にしたものを的確に捉える凄まじい「画力」が圧倒的特徴です。
そのまま口に入れることができるかのような食事、思わず怖気付いてしまいそうなそびえ立つ山脈‥そこにはないのに「在る」ように感じさせる徹底的な描写力が、物語に力強さを与えてくれます。

今回紹介したい『歩くひと』は、その描写力こそが存分に発揮された作品。歩くことで目にするものはもちろん、人物の心の動き、歩きながら考えていることなど、絵に「リアリティ」が在ることを前提として湧き上がる「共感」が溢れて止まりません。主人公の男とともに歩き、冒険しているかのような気持ちになり、次第に「歩き欲」がむくむくと立ち現れます。

何も恐れることなく歩くことで、小さな街が壮大な冒険の舞台になる。そんな少年心のようなものを、再び得られるような快感が呼び起こされます。歩く時間は、紛れもなく自分自身の時間。自分との対話の時間。たまに外からの小さな刺激があって、誘い込まれて、新しい世界や新しい自分の一面を知る。無駄のようでもあり、実は無駄がなく穏やかな行為。

決して裕福でなくても、数人の友人と家族やパートナーがいて、たまに1人になることができる。1人で歩く時間の余裕がある。これって究極の幸せなのではないか‥?ハッとさせられます。

作中はほとんど吹き出しがなく、たまに妻との会話がポツリポツリとある程度。その会話も日常のほんの一部なのだけれど、優しく緩やか。「歩くひと」に帰る場所があるということをさり気なく表現した、温かいシーンです。

私たちは、思い立ったときに、いつでもどこにでも、歩き出していいくらいには自由なのだ。「歩くひと」が教えてくれた自由のかたち。頭の中や心の中が、窮屈になってしまったときに読んでみると、救ってくれるかもしれない1冊です。

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PARK GALLERY
木曜スタッフ・秋光つぐみ

グラフィックデザイナー。長崎県出身、東京都在住。
30歳になるとともに人生の目標が【ギャラリー空間のある古本屋】を営むことに確定。2022年夏から、PARK GALLERY にジョイン。加えて、秋から古本屋・東京くりから堂に本格的に弟子入りし、古本・ギャラリー・デザインの仕事を行ったり来たりしながら日々奔走中。
Instagram https://instagram.com/tsugumiakimitsu

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