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短編小説『座敷童』

『座敷童』

「うちには座敷童が出るんだよ。」

まだ幼かった私に、叔母は何でもない口調でそう言った。

これは、私がまだ小学生だった頃の話だ。夏休みのある日、私と姉は叔母の家に一泊する事になった。確か姉が十歳で、私が八歳の時だ。ちょうど両親の宿直と夜勤の仕事が重なって、まだ子供だった私達ふたりだけで一晩を過ごすのは危ないので、普段あまり付き合いのない叔母の家に預けられる事になったのだ。叔父と叔母には娘が居て、私達にとっては年の離れた従姉妹だったのだが、成人し既に家を出ていた。そのため、彼女が使っていた部屋にふたり分の布団が敷かれた。付き合いがないと言っても、それは単純にお互いに仕事が忙しく、家が少し離れていたためだ。お正月やお盆には顔を合わせていたし、両親達はお年玉や誕生日プレゼントを渡し合っていた。仲が悪いというわけではない。実際、叔母は泊まりに来た私達姉妹にとても優しくしてくれた。夜ごはんはホットプレートでの焼肉だったし、お風呂は自宅より広くて快適だったし、テレビも大きくて皆でバラエティ番組を見て笑った。

夜の九時頃だったろうか。私と姉は、二階にある従姉妹の部屋で寝る支度をしていた。叔父と叔母の寝室は一階にある。叔父は自営業を営んでおり、日によって帰る時間はまちまちで、その日はまだ帰宅していなかった。

「そろそろ寝よっか。」

姉がそう言って、部屋の電気を消そうとしたその時。一階から、ガラガラッと引き戸を開ける音がした。それは、玄関と廊下の境目にある引き戸だ。古い木製のガラスがはめ込まれた引き戸で、建付けが悪いのか開閉すると大きな音を立てるのだ。

「おじちゃん帰ってきたのかな。」

私と姉は顔を見合わせると、一緒に階段を下りて一階へ向かった。泊めてもらうのだ、挨拶くらいはしなければ。叔父はいつもニコニコしていて感じの良い人だったが、人と話すのが苦手らしく、私達に対してもほとんど話しかけたりはしてこなかった。大人達は叔父を変人だと言っていたが、穏やかな雰囲気のせいか子供に懐かれる人だった。階段を下りた先はリビングになっているのだが、そこには誰も居なかった。叔父が帰って来た気配が無い。姉と顔を見合わせていると、寝室から寝巻に着替えた叔母が姿を現した。

「どうしたの?」

「今、おじちゃん帰ってこなかった?」

私の問いに、叔母はあぁ、と小さく声を漏らした。

「さっきの引き戸の音ね、座敷童なんだよ。」

叔母の言葉に、私と姉は再び顔を見合わせる。座敷童。妖怪の絵本で見た事があった。子供の姿をした、幸運を呼び寄せる妖怪だ。

「うちには座敷童が出るんだよ。」

叔母はそんな冗談を言う人ではなかったし、その時も真顔で言葉を続けた。

「ちょっと前から居るんだよね。おじちゃんに懐いてるみたいでさ。今日みたいに帰りが遅い日は機嫌が悪くて、引き戸をガラガラするの。」

「そうなの?」

「うん。だから気にしなくていいよ、もう寝な。」

叔母がまるで大した事のない口調でそう言ったので、私と姉は二階に戻って布団に入った。大人が居ると言うのなら、居るのだと思った。それに座敷童はいい妖怪で、家に居たらお金持ちになれるという話を読んだ記憶がある。いい妖怪なら、怖くないと思った。

「本当に居るのかな、座敷童。」

「居るんじゃない?」

私の質問に、姉は素っ気なく返事をしたきり口をつぐんだ。もしかしたら、怖かったのかもしれない。私はなんだか不思議な気分で、ぼんやりと天井を見上げていた。

ガラガラ。

ガラガラ。

寝ているのか起きているのか分からない、ふわふわした意識の中で、引き戸を開閉する音が聞こえた気がする。座敷童だろうか。それとも、叔父が帰ってきたのだろうか。そんな事を考えている間に、私はいつの間にか眠りに落ちていた。

翌朝、リビングに下りると、そこには朝食を運ぶ叔母の姿と、スポーツ新聞を読んでいる叔父の姿があった。

「おはよう。」

私がそう挨拶すると、叔父は照れたような笑顔を浮かべた。

「いぇい。」

叔父はいつも、子供にはそう挨拶をする。廊下に出た際にちらりと視線を向けると、引き戸はぴたりと閉じていた。

ーーー私が大人になった現在、座敷童に関する話は聞かない。私達が引き戸の音を聞いた日から数年後、従姉妹が結婚して帰って来たのだ。家は二世帯住宅となり、従姉妹に子供が生まれてから座敷童は出なくなったと叔母から聞いた。

「家の中がうるさくなったから、住みづらくなったんじゃないの。」

叔母はそう言って笑っていた。別に座敷童が居なくなった所で、不幸な事は起こらなかった。座敷童について調べると、居なくなった家は没落するだとか、縁起でもない事が書かれている事がほとんどだ。しかし大人になった今考えると、別に叔母の家には特別いい事も起こってはいなかったと思う。座敷童が居る。そう言っていたのは、叔母だけだった。それはただ単に、叔母がそれを座敷童だと思い込みたかっただけだったのではないか。あるいは、泊まりに来た子供達に、怖い思いをさせたくなかったのではないか。

あの家には、本当に座敷童が居たのだろうか。

私には確かめる術は無いし、確かめる気もない。
                               (終)

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