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『MIU404』第7話 逃げ続けた先に、パラダイスなんかない

捕まえる、ということは、「見つけてあげる」ことでもある。逃げ続ける人を、閉じてしまった人を、見つけてあげる。もう一度、陽の光の当たる場所まで連れ出してあげる。それが、警察の仕事だ。

『MIU404』第7話は、逃げ続けることの愚かさと、そこから救い出してくれる人の優しさを描いた回だった.

自分と犯人の違いは、ただラッキーだっただけ


ここ数回、ヘビーな現実を描き続けてきた『MIU404』。その反動かのように、第7話はキレッキレのエンターテインメントだった。デリバリーサービスのユニフォームを着て逃走する犯人をあぶり出すために、他の配達員のジャンパーをひっくり返させるというアイデアは痛快だったし、陣馬(橋本じゅん)のラリアットも豪快だった。

何より伊吹(綾野剛)&志摩(星野源)のアクションシーンの爽快さに尽きる。警棒片手の接近戦はこれまでの『MIU404』にはない迫力だったし、三角跳びを繰り出す伊吹と、伊吹の肩を借りて指名手配犯に飛びかかる志摩の息の合ったコンビネーションは、スカッとする面白さがあった。

最後は陣馬が体当たりで犯人の動きを封じ、逮捕。捕まった大熊(三元雅芸)は、ただ悔恨の唸り声をあげるだけで、それはもはや人間というよりも獣のようだった。

改めて刑事ドラマとしての振り幅の広さを見せつけた『MIU404』だが、その根底には、これまで同様、現実に立脚したシビアさと、紋切り型の綺麗事に流されない正義感があった。

強盗致傷の罪から逃れるため10年間も『トランクパラダイス』という名のトランクルームで生活し続けていた梨本(佐伯新)と大熊。自首していれば、もうとっくに刑期を終え、更生の道を歩み出すことができた。けれど、逃げおおせたばかりに今も暗いトランクルームの中で息をひそめて生きなければならなかった。

梨本の言葉を借りるなら「死んでるのと同じ」人生。それを認めたくなくて、大熊は梨本を殺害した。梨本の遺体に猫砂をかけたのは、少しでも腐敗臭を消すためだったのかもしれないけれど、わざわざ自殺に偽装工作したのに、猫砂なんてかけたら、他殺と言っているようなもの。その行動には、矛盾がある。

きっと大熊は、埋葬したかったのだ、自分の罪を。脳裏にこびつく梨本の最期の言葉を振り払いたくて、猫砂を撒いた。

大熊は必死だった。なんとか時効まで逃げ延びて、また堂々と普通の暮らしに戻るんだと。だけど、何もない毎日を壁一面に「正」と書くことで耐え、グラビアの女の子の目を塗り潰すほど"見つかる"ことから逃げ続けた10年が、はたして生きていると言えるのか。スゥ(原菜乃華)とモア(長見玲亜)のふたりが大熊を幽霊と間違えたのは、彼が「死んでるのと同じ」だからだろう。

「俺が交番に飛ばされて機捜に呼ばれるまでが10年。10年間、誰かを恨んだり腐ったりしないで、本当によかった」

伊吹はそう言った。もちろんこの台詞もグッと来るものがあるのだけど、このドラマの良心はそのあとに「俺はラッキーだったな」と伊吹に言わせるところだ。恨んだり腐ったりしないですんだのは、自分の努力のおかげじゃない。単にラッキーだったから。このラッキーは、以前登場したガマさん(小日向文世)のことを指しているのだろう。ガマさんに出会えたから腐らずにすんだ。

「誰と出会うか、出会わないか」――3話から繰り返されているこのテーマがまたここでリフレインする。「さっさととっ捕まえようぜ」という伊吹の言葉は、決して点数稼ぎの台詞じゃない。暗いトンクルームに閉じこもったままの犯人を外に引っ張り出してやるための"救い"の言葉なのだ。


ふたりの父親から見えてくる、「いい大人」のあり方


「大熊の不幸は10年間ここから一歩も動かず、誰にも見つからなかったことだ」という伊吹の台詞とリンクするのが、「世人が私の息子だということは、ひとつの不幸です」という九重刑事局長(矢島健一)の台詞だ。

「二世って厄介でね。それだけで気を遣ってゴマする者もいれば、目の敵にする者も出る。そのうち自分の立ち位置を見失う。流されずに、己の道を探せるようになってほしい」

警察庁の大物という前情報だけで、てっきり九重(岡田健史)の父は息子に自分の考えを押しつけ、勝手にレールを敷きたがる権威主義の男なんだと思いこんでいた。でも、実際のところは警察庁と警視庁の違いもわからなかったとぼけた父親で、何より良き息子の理解者だった。改めて自分もまだまだいろんなステレオタイプや偏見で物事を見ているのだなと思い知らされる。

そして、そんな父親像と連なるのが、陣馬だ。家庭を顧みず刑事としての生き方ばかり優先してきた自分と違い、息子は家族思いの心優しい青年に育った。そのことについて陣馬は「それは俺が教えたんじゃないんです。こいつが悩んで迷って、自分の頭で考えて勝ち取った特性だと思うんです」と力説する。

このふたりの父親に共通するのは、自分の子どもを個人として尊重する姿勢。そして、人は迷いながらもちゃんと自分の現在地を自分で決められるというメッセージだ。

思えば第1話で九重が陣馬を冷たくシャットアウトしていたのも、単に生意気だからではなく、九重刑事局長の息子というだけで媚びを売ってくる大人たちに慣れていたせいだったのかもしれない。九重にとって、大人はみんな自分を利用して親に寄りつこうとする連中ばかりだった。

でも陣馬は違った。もちろん伊吹も、志摩も、桔梗(麻生久美子)も。「悪い大人」もいれば、「いい大人」もいる。今回、九重がさらっと陣馬のことを「相棒」と言えたことは、大きな前進だった。九重の「現在地」は決して道から逸れてはいない。


スゥとモアは、もしかしたらミケになっていたのかもしれない


帰る場所を失い、トランクルームで生活をしていた倉田(塚本晋也)と、家出少女のスゥとモアにも、それぞれ次の場所が提示される。倉田がもう一度家族と向き合う決意を固める一方、親との関係に問題を抱えているのであろうスゥとモアには10代の女の子のためのサポートセンターの連絡先が渡された。必ずしも全員にとって家庭が安住の場所ではない、という現実をさり気なく的確にこのドラマは示唆する。

その上で、「あきらめないで、まずは福祉や公共に頼る」と弁護士のジュリ(りょう)に言わせるところが、『MIU404』の正義感なんだと思う。生活困窮者が貧困によって餓死したニュースが流れたとき、若い女性が病院にも行かず、ひとりで子どもを産み、生後間もなく死亡させてしまったニュースが流れたとき、多くの人が言う、なぜ誰かに助けを求めなかったのかと。

けれど、困ったとき、どこに助けを求めればいいのか、誰を頼ればいいのか、わからない人が世の中にはたくさんいる。正しい知識と情報を持っていないために救われない命が、たくさんあるのだ。

もし伊吹たちやジュリに出会っていなかったら、スゥやモアは自分の若さや性を目的に寄りつく人たちによって、いいように搾取されてしまっていたかもしれない。『アンナチュラル』(2018年/TBS系)の第2話で、ふたりの家出少女がインターネット上で出会った男によって監禁され、ひとりは殺害されるという凄惨な事件が描かれた。死んだ女の子の名前はミケで、結局本名も身元もわからないまま、その遺骨はUDIラボに保管された。

スゥとモアは、もしかしたらミケになっていたのかもしれない。そう思うと、みんな気づかないところでいろんな人に救われて、今ここにいるのだろう。私たちの立っている「現在地」は、自分ひとりの力で辿り着いた場所では決してない。

そして、こうしたいくつものエピソードは、最後にひとりの少年へと集約される。逃げおおせたがために、今もなお社会から逸脱し続ける成川(鈴鹿央士)だ。彼を匿うクズミ(菅田将暉)は、一見すると人当たりがいい。まるでパラダイスのような洒落たシェアハウスを用意し、多額の報酬を振る舞う「いい大人」だ。だけど、未成年だからとアルコールを禁止する一方で、成川のメロンソーダにドーナッツEPを落とすこの男がまっとうではないことくらい、成川だってわかってはいる。でも、もうどこにも逃げる場所がないから、メロンソーダを飲み干すしかなかった、不安と罪悪感と一緒に。

はたして4機捜は、成川の現在地を「見つけてあげる」ことはできるのだろうか。そして、現在地を隠し続ける麦(黒川智花)に何にも怯えずに生きていける道をつくってあげられるのだろうか。

あのメンツなら、きっとできる。そう答えられるぐらいには、もう彼らに夢中だ。

文・横川良明    イラスト・月野くみ
2020.08.09  PlusParavi


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