見出し画像

【リセット(3)】パラ陸上・鈴木朋樹

カン、カン、カン、カン。
ゴールまで残り1周を示す鐘が鳴った。
短く刻まれた甲高い音が、レースの行方を見守っている観客の鼓動を駆り立てる。
競技用車いす(レーサー)に乗った選手たちの群れが、陸上競技場の撮影エリアに最も近いコーナーに差し掛かってきた。
タイヤの地面を擦る音が次第に近づいてくる。先頭を走る選手が顏を上げた瞬間、彼の表情を狙っていたカメラのシャッターが次々と切られた。連写音が空中に舞い、夜空に打ち上げられた花火のようだった。

カメラのモニター画面で撮ったばかりの写真を確認すると、白地のヘルメットに西から降り注ぐ陽の光が反射して、鋭い光を放っている。黒いウエアの右胸には、「TOYOTA」の企業名が白い文字で刻まれている。胸板や肩回りの筋肉は、去年よりさらに一段と厚みを増している。両腕を少し後ろに引き、次の一手を繰り出す準備体制に入っている。
私がシャッターを切った瞬間、他の選手たちは、まだ顏を上げていない。
鈴木朋樹だけが、集団の先頭で顏を上げ、まっすぐ前方を見ていた。

2018年9月1日、2日に高松市で開催された日本パラ陸上競技大会。
トラック競技の最終種目は車いす男子T54クラスの1500m決勝だ。
10月にジャカルタで開催されるアジアパラ競技大会の日本代表選手たちが顏を揃えたレースで、鈴木はスタート直後から飛び出し、集団の先頭に立った。鈴木がスピードを上げれば、後続の選手もスピードを上げて付いてくる。選手同士の間の差は、ほとんど開いていない。
残り1周に入っても、鈴木は先頭で集団を率いていた。
それは、私の記憶にない鈴木の姿だった。

集団の先頭を走ることは、空気の抵抗を受け、体力を消耗するリスクがある。
一方で、自分にとって都合のよいタイミングでスピードの上げ下げをすることができ、後方を走る選手たちに揺さぶりをかけることができる。これまでの鈴木なら、有力選手の後ろに付いていた。先頭を走るリスクを避けて、体力を温存して走り、後方から前を狙っていた。
だが、カメラのメモリに保存した一枚に写っている鈴木は、私の記憶の中にあった鈴木とは違う。
自ら先頭に出て、ベテラン勢を引っ張り、スピードを上げ下げして揺さぶりを掛けている。

選手の群れは集団のまま、残り200mのコーナーに入った。
曲線の走りを利用して加速したのか、鈴木のレーサーが前に出て、2番手との差が50センチほど開いた。
しかし、後続の選手を振り切れないままだ。

選手たちが残り100mの直線に入ってきた。
撮影エリアから選手間の差が目測できない。
鈴木が先頭で内側のコースに入った。
後続の選手たちは、最後のコーナーから外側のコースに出て、鈴木を捉えようと追ってきた。
カメラのレンズが一斉にゴールラインのほうへ向いた。
鈴木がゴールに飛び込み、後ろから前に出てきた選手も飛び込んだ。

ほぼ同時だ。
私の目では、どちらが先にゴールしたのか判別できない。
レースを見守っていた観客たちの視線が、結果を映し出す競技場の電光掲示板に注がれた。
1着の選手のタイムは3分09秒30、鈴木のタイムは3分09秒45。
ゴール手前で差されていた。

鈴木は、両輪のハンドリムから手を離し、上体を起こしている。
余力だけで進むレーサーの上で、彼は、ふっと微笑んだ。

勝負に負けたことは、分かっているはずだ。
勝敗を重視していたら、微笑むことはないだろう。
微笑んだ理由は、別にあるに違いない。
一体、何に、鈴木は微笑んだのだろう。

取材陣が待ちかまえている場所に、鈴木は、ゆっくり近づいてきた。
深く吸い込んだ息をふぅーと吐き出し、一息ついた。

「今回の1500mは、自分がレースをコントロールして勝ちにいくことを意識していました。
ラストの加速は、一歩、及ばなかったですけど、レースをコントロールすることはできていたと思います。
ただ、1500mの持久力はまだ足りない。そのことを再確認できました」

レースを振り返った鈴木の感想は、簡潔だった。
何を目標にして走り、何が達成できて、何が足りなかったかが、整理されている。
鈴木の微笑みを、私の言葉で言い換えるとしたら、「ああ、やっぱり」だろうか。
「再確認できた」というのは、分かっていたことを、改めて確認できたという意味に違いない。
鈴木の言葉に、悲観はなかった。
地図を眺めて、自分が目指すべき方向を確認し、自分が今、どの地点にいるのかを知っている。
鈴木は、迷いなく、前に進んでいた。(つづく)

(取材・執筆:河原レイカ)
(写真提供:小川和行)


よろしければサポートをお願いします。障害者スポーツ(パラスポーツ)の面白さ、奥深さを伝える活動を続けています。応援よろしくお願いします。