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「絶対王者」不在の東京マラソン(3)

 東京都庁前のスタート地点から神田方面へ長く続く坂道を、選手たちが一気に下っていく。序盤5キロから10キロまでの間に、7人ほどで形成されていた先頭集団から2人、3人と選手が振り落とされていく。選手同士は時々、急激にスピードを上げるなどの「揺さぶり」を掛けあっているようだ。

 ある選手が急に加速すると、他の選手たちも離されまいと対応して速度を上げる。速度を上げるタイミングが遅れると選手間の差が開き、加速した選手が一気に前へ出て、遅れた選手は引き離されてしまう。急激に速度を上げるとその分、体力を使う。前の選手と間にできた差を詰めるのにも体力が要る。揺さぶりの主導権を握ることができるのは、急激な加速ができる能力を備えた選手だ。揺さぶりを繰り返しかけても余裕のある体力、持久力を備えていることも必要になる。

 コースは坂道から比較的平らな道路へ出て、神田から浅草方面に向かう。10キロ付近、優勝候補は鈴木朋樹とダニエル・ロマンチュク(米国、26歳)に絞られた。ダニエルは、ワールドマラソンメジャーズで、マルセルに次いで2位に入る実力を持っている。彼が両腕を拡げると2メートル近くになり、長い腕を活かしてダイナミックにレーサーを漕ぐ。
 一方、鈴木はダニエルと比べると小柄な体格だが、一定のリズムを刻むような漕ぎでレーサーを推進させていく。腕を振り上げて、ハンドリムをキャッチし、押し出す。その1回1回の動作に、力のロスを感じさせない。両腕の流れるような動作の繰り返しが、レーサーの車輪の回転数を上昇させていく。
 鈴木はダニエルに対して、どの地点で、どう仕掛けるのか。それとも、ダニエルのほうが先手を打って飛び出し、鈴木を後方に引き離すのか。

 勝負は、18キロの浅草付近で決まった。
 鈴木が1人単独へ先頭に出た。ダニエルとの差がみるみると開く。ダニエルの走りに、その差を詰めていく気配はなかった。ダニエルの姿が後方に小さくなっていき、テレビカメラで捉えきれなくなった。
 ゴールテープを切った鈴木の記録は、1時間23分05。目標としていた1時間21分台には届かなかったが、ランキングの順位を上げることは成功した。

 優勝した鈴木は、レースを振り返り、「ダニエル選手と前半に仕掛け合いがあり、めちゃくちゃきつかったです。浅草付近から一人で走る展開となり、そこからは自分との闘いでした」と話した。
 目標に掲げていた1時間21分台は達成できなかったが、今回の記録はランキング2位に入る記録になったため、その点は評価していいポイントだと位置付けた。

 記者にマルセル・フグが不在だったことの影響について問われると、「正直なところ、誰かと一緒に走ったほうが、より確実にタイムを達成できたと思います。一人で走ることになると自分との闘いになりますし、メンタル的にキツイ状態ではありました」と鈴木。マルセルが不在のレースで、自分自身との闘いになることを想定して、トレーニングを積んできたと話した。

 レーサーは複数の選手で走る時、1列に並んで互いに先頭を交代して走るローテーションをすることができる。ローテーションは、前を走る選手を風避けにして体力を温存することができ、高速のスピードを維持して走り続けることを可能にする。ただし、実力に差があるとローテーションをすることは難しい。ローテーションが成り立たなくても、力のある選手のすぐ後ろに付き、できるかぎり長い距離をその背中を追いかけて走れば、好記録に繋がる可能性は高くなりそうだ。

 マルセル・フグが出場していたら、優勝争いはどうなっていただろう。彼と一緒にローテーションして走っていたら、さらに好記録を狙えただろうか。
 絶対王者は、むしろ不在であることで、その存在の大きさを改めて感じさせた。(了)

写真はダニエル・ロマンチュク(左)と鈴木朋樹(右)
(取材・執筆:河原レイカ)
(写真提供:小川和行)

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