放物線を描いた声援
JR三宮駅で神戸市営地下鉄に乗り、総合運動公園駅で降りると、隣の車両に乗っていた小学生たちも降りてきた。3、4年生くらいだろうか。20人ほどが列をつくり、ぞろぞろと改札に向かう階段を上っていく。彼らの列のすぐ横を歩いている女性は、引率している学校の先生のようだ。
「ねぇ、これから何すんの?」
私の前を歩いていた男の子が、隣の子に囁く声が耳に入った。
「さぁ・・・」
隣の子の返事は、はっきりしない。
一般の乗客と一緒になる場所では、余計なおしゃべりをしないように、事前に先生から注意をされているのかもしれない。そのまま黙って、前を歩く子の後を追いかけていった。私は、写真撮影用の一眼レフと望遠レンズを入れた鞄を肩に掛けなおし、彼らと同じ改札口へ向かった。子どもたちと私が目指しているのは、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場だ。
この競技場では5月17日~25日まで世界パラ陸上競技選手権大会が開催されている。私は2004年にギリシャで開催されたアテネ・パラリンピックを観戦して以降、障害者スポーツ(パラスポーツ)の競技の魅力を伝えたいと思い、パラリンピック競技の記事や写真をウェブサイトに掲載して情報発信する活動を続けている。日本選手権など国内で開催されるパラ陸上大会は週末の土日に開催されることが多いが、世界パラ陸上の開催期間は計9日間にわたる。私は、この機会のためにとっておいた勤務先の有給休暇を消化する形にして、神戸にやってきた。
今回の世界パラ陸上は、今夏にフランス・パリで開催されるパラリンピックの出場枠の獲得に関係する重要な大会だ。パラリンピック出場を目指している選手は、出場した種目で上位2位以内に入るとパリへの切符をほぼ手中に収めることになる。日本人の選手にとっては、長距離の移動や時差の負担がないなど自国開催の利点がある。このチャンスを生かしてほしい。
また、今回の世界パラ陸上は、日本国内で世界トップレベルの選手たちのパフォーマンスを観てもらえる貴重な機会でもある。学校観戦会として兵庫県内の小・中・高、特別支援学校の参加希望校の生徒延べ3万人を競技会場に招待することになっていた。
私が駅で一緒になった小学生たちは、学校観戦会の参加校の児童にちがいない。学校の課外授業の一環として、競技場に連れてこられたのだろう。パラリンピックや、その競技の一つであるパラ陸上に興味を持っている子もいれば、競技場よりも教室にいたほうがマシと思っている子もいるはずだ。特に何も考えずに来て、「これから何すんの?」と言いたくなる子もいるだろう。
陸上競技場のトラック100mのフィニッシュ地点の延長線上に設けられているカメラ席に入って、観客席を見ると、バックストレート側の一番高い位置にある入口から赤色の帽子を被った子どもたちが入ってきた。私は、一眼レフカメラの望遠レンズを観客席に向けた。
子どもたちは縦1列に並んで、階段を降りている。彼らの列は、五十音か4月始まりの誕生日か何かの順になっているのだろう。その順番通りに、下の壇から横一列に子どもたちが座席についていく。
通常なら学校の教室で授業を受けている時間帯だ。彼らの視線は今、黒板や教科書の代わりに、陸上競技場のトラックとフィールド、そして選手たちに向けられている。
場内アナウンスが、男子円盤投げに出場する選手の紹介を始めた。大型のビジョンに映し出された選手は、右手を高く挙げ、ユニフォームの胸に描かれた国旗を指さした。選手がそれぞれカメラに向けてアピールするたび、観客席から拍手が贈られている。事前に練習をしたわけではないだろうが、子どもたちの拍手は一律の調子で耳に入ってきた。
「わぁーっ」
空中を左から右へ飛んでいく円盤の後を追いかけるように、子どもたちの声がついていく。その声は、選手の手から放たれた円盤が地面に着地するまでの時間、息長く続いている。
子どもたちの声はまとまっているが、音楽の合唱練習で揃えて出すことを意識したものとは違う。彼らの口々から思わず出てきた声が重なり、集まって一つの塊のようになっている。
「わぁーっ」
声の塊が円盤と地面の間に入って、より遠くへ飛ぶのを助けているようにさえ思えてくる。
人が投げた物体が空中を飛んでいく。その動きを始まりから終わりまで、歓声を耳にしながら目で追っていく。
「わぁーっ」
私の心の中でも声が漏れた。
競技場から宿泊しているビジネスホテルまで戻る電車の中で、スマホを開いた。X(Twitter)のタイムラインには、世界パラ陸上の公式アカウントの投稿が流れてきた。
水色のユニフォームに黒いアイマスクを着用している視覚障害の男子選手がフィールドから出て、コンクリートの壁をよじ登り、観客席へ向かっていく姿を映した動画が投稿されている。視覚障害(F11:全盲のクラス)男子円盤投げで優勝した選手のようだ。
手すりを跨いで観客席の一番前に立ちあがった彼は、片手を高く挙げた。白い帽子を被っている子どもたちが拍手しているのが見える。思いがけない出来事に少し驚いた顔の子もいる。
フィールドで円盤投げの競技をしている間、彼は観客席にいる子どもたちの気配を感じていたのだろう。自分の手から放たれた円盤が地面に着地するまでずっと、あの声を耳にしていた。観客席に向かって高く掲げた彼の手は、あの声援に応えたものにちがいない。
青い空を背景に、円盤が左から右へ放物線を描いて飛んでいく様子が思い浮かんだ。円盤の後ろを追いかけるように、子どもたちの声が放物線を描いて飛んでいった。(了)
(取材・執筆:河原レイカ)
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