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「無知の知」を知る

哲学者ソクラテスの有名な言葉に
 
「私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ」
 
というのがあります。
 
いわゆる「無知の知」という奴ですね。
 
 
よくある誤解なのですが、無知の知とは、「自分が何も知らないということを自覚する」ということではありません。
 
そこまでの卑屈さを求めるものではありません。
 
 
哲学者白取春彦によれば、それには二つの意味があります。
 
一つは「いかなる知識であってもそれが必ず正しいと確認することはできない」ということ。
 
そういう認識の下では、いかなる理屈にも執着しない柔軟な思考が持てるようになります。
 
 
もう一つは「自分が知らない事柄が存在することを自覚する」ということ。
 
 
「あなたは全ての分野について精通していますか?」と問われれば大抵の人は「いや、そんなことはないよ」と答えます。
 
しかし日常生活の中では、ある分野について実は無知なのにその自覚がないままに行動すること、要するに「無知の知」の欠落した状態で行動することが往々にしてある、というのです。
 
 
白取に言わせれば、「思考力が足りない人ほど自分は思考力が高いと勘違いしがちだ」とのこと。
 
 
これはダニング・クルーガー効果という一種の認知バイアスに通ずるものです。
 
つまり、能力の低い人ほど自分に対して過大評価をする、というバイアス。
 
 
一般の人は、勉強して知識が増えるとともに自分には知らないことが多くあることに気付き、謙虚になっていくものです。
 
 
しかし「無知の知」が欠落している人は、自分に絶対的な自信を持ち、自分が信じたものは正しいとして疑いを持たず、周囲の人に否定されてもその人が正しいことを知らないのだと見下して論破しようとし、他人とは違う自分の優越感を持ち他人を見下そうとします。
 
 
その行きつく先が、「自分だけが知っている」陰謀論。
 
 
そう思うと、「無知の知」の自覚は、いっぱしの出版社から本を出して生計を立てている著名な作家だけでなく、ブロガー(有名無名問わず)、日頃ツイッターやFB、YouTubeなどのSNSで情報発信している一般の人にとっても必要なことなのではないでしょうか?
 
 
どんな形態にせよ情報発信する立場に立つ上では、「無知の知」の自覚を持ち常に自らを省みる姿勢があれば、今発信している情報の瑕疵の有無、自身の無自覚な盲点に臆病になり、慎重になるでしょう。
 
 
これは、自分が間違えるはずなどないと思い込み、奔放な見解を展開して批判者や不同意者を責める態度とは対極のものです。
 
 
少なくとも、「今自分には知らないことがあるかも知れないし、未だ手に入れていないその知識は、将来手にすることがあるかも知れない」と思っていれば、かたくなに現況の自説に固執していたずらに他者と衝突することも無くなるでしょう。
 
 
白取曰く「哲学の考え方を広く分かりやすく広めなければ、ポピュリズム政治や快楽主義、金満主義が蔓延してしまう」。
 
 
これを書いている今まさに国政選挙真っ最中ですが、心を打つ分かりやすいだけの一言メッセージ型、もしくは著名タレントを用いたまさに「ポピュリズム政党」が幅を利かせています。
 
大衆心理を突くことだけを目的としたキャッチセールス手法で、国政が動かされても良いのでしょうか?
 
 
 
政治家も、そして国民も、もっと古典から哲学を学ばなけらばならないのではないかな、と思います、自戒を込めて。

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