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科学研究、その立証責任とは?

占星術、心霊現象、UFO、クリプトジオロジー、古代宇宙人説といった疑似科学の信奉者は、何を根拠にそれを信じ、またその実在の証拠として何を挙げているか?

それは、写真、映像、目撃証言など多岐にわたります。

例えば、UFO信奉者は、空に浮かぶ未確認の飛行物体の写真を証拠として挙げるでしょう。

この場合彼らの主張はUFOが、本来の単なる「未確認飛行物体」という意味を越え、宇宙人の乗り物としての意味合いを含むのが特徴です。

幽霊の存在を主張する人々は、霊的な存在を示すと主張する不可解な音や映像、霊能力などという特殊能力保持者の「解説」を証拠とします。

その他、人間が体験した超常現象の個人的な体験談や、一部の儀式や実験の結果などが、証拠とされることもあります。

しかし彼らの挙げるこうした証拠は、残念ながら科学的には不十分とされます。

その理由はいくつか存在します。

まず再現性の問題。

科学的に求められる再現性とは、異なる研究者でも同じ条件下では誤差の範囲内で同じ結果が得られることを言います。

しかし疑似科学で証拠とされるものは通常、一度限りの出来事や個々の体験に基づく。

そのため、他者による検証や再現に難がある点が問題となります。

また、疑似科学の「証拠」はしばしば主観的な解釈に依存します。

ある音が「霊的な存在」によるものであると主張する根拠は、大抵の場合その主張者・信奉者本人の信念や解釈によるものとなります。

その音を他の人々が同じように解釈するとは限りません。

例えばラップ音。

建物の建材の、温度変化による熱膨張・収縮の可能性を彼らは一顧だにしません。

さらに、疑似科学的証拠が、具体的な科学的諸原理や理論に反したり、その結果を生み出す具体的なメカニズムや原理を不問にしたりすることはよくあること。

それは、オカルトという言葉の原義が「隠されたもの」であることにも表れています。

証拠たるもの、その主張が真実であると信じる人々を納得させるためだけでなく、その主張に疑念を持つ人々にも説得力を有するものでなければなりません。

しかし現状では、疑似科学信奉者が掲げる証拠のたぐいは、その条件を満たすものにはなっていない、と言えるでしょう。

証拠に対する科学的精査

科学的精査(scrutiny)は、疑似科学的な主張や証拠が科学的な真実に立ち返る厳格な手続きです。

これは、情報の正確さを保証し、誤った結論を避けるための基本的な工程です。

最初に、科学者は提供された論拠の信頼性を評価します。

これには、論拠の出どころの確認、すなわちその根拠がどのようにして得られたかを調査することが含まれます。

このプロセスでは、偏見、誤解、認知バイアス、意図的なダマし(詐欺)などが結果に影響を与えていないかを慎重に確認します。

次に、科学者は論拠を統計的な手法で解析します。

情報のパターンや関連性、その他の可能な解釈を求める様々な統計的手法が使用されます。

さらに科学者は、提供された論拠が既存の科学的知識や理論とどのように整合するかを評価します。

例えば、それが重力の法則に反している場合、その論拠は非常に疑わしいと見なされる。

当然ですね。

既存の科学的理論に反する論拠が正しいとする強い主張が認められるためには、同等に強力な証拠が必要でしょう。

以上のようなプロセスを通じて、科学者は疑似科学に根拠を与えるとされる言説に対する科学的精査を実施します。

この厳格な手続きにより論拠の確からしさ、その強度を評価し、その中に科学的な真実を見つけ出し、あるいは棄却するのです。

立証責任の理解

立証責任の所在は、科学的な議論において極めて重要な概念です。

これは、特定の主張をする者がその主張を証明する責任があるという原則です。

ある理論や現象が真実であると主張する者は、その主張の根拠を提供する責任を有する。

これは、疑似科学の信奉者に対しては特に重要な考え方です。

前述の通り彼らの主張が既存の科学的理論に反することはよくある。

例えば、地球が平面であるとする主張。

その主張は、地球が球体であるとする既存の科学知識を覆す内容、である以上その主張内容を支持する強力な証拠を提示する責任が生じます。

ツイッターで地球表面のエッジを写した衛星写真を載せて、ドヤ顔で地球平面の証拠だと主張している者がいました。

しかしその写真、球体の一部を拡大したものとして見ることに何の不足もなく、逆に明らかに平面だと言い切れるような代物ではありませんでした。

なぜそれをもってして彼が「地球は平面だ」と主張できたのか、未だに謎です。

夜空に輝く光点を指して、UFOが地球に訪れている証拠だと主張する者にも、その主張を裏付ける、更なる確固とした証拠を示す責任があると言えるでしょう。

未確認の飛行物体であるという限りにおいては間違いなくUFOですが、宇宙人の来訪を主張したいのであれば、光点の目撃談や写真だけでは不十分です。

ここで重要な点は、立証責任が否定的な主張をする者、すなわち「UFO(宇宙人の乗り物としての)は存在しない」と主張する科学者にあるわけではないということです。

科学者は新たな主張に対しては常に懐疑的であり(またそうであるべき)、その主張が真実であるとみなすには、それなりの証拠を求めます。

したがって、証拠提示義務は疑似科学信奉者側にあるのです。

これは、彼らの主張が科学的精査に耐え、真実であると認められるための重要なステップです。

立証責任の誤解

立証責任の原則、なぜか疑似科学信奉者はしばしば踏み外す。

彼らは、自身の主張に対する立証責任を一般の科学者側に転嫁しようとする傾向が見られます。

そこには「我々の主張を否定できなければ、それは真実である」というロジックが。

例えばUFO信奉者は、UFO目撃談やその写真を無尽蔵に収集していたりする。

彼らにとって未確認飛行物体は全て宇宙人の乗り物。

そして疑いを持つ者に対しては、その膨大な「証拠」一つ一つを説明できない限り、UFO=宇宙船説は正しい、とせまってくる。

しかし、ここには立証責任の基本的な誤解がある。

実証責任が、問題となっている説を否定する批判者の側に、いつのまにか転嫁されてしまっているのです。

科学的な議論においては、あくまでそれが科学であるうちは、新たな主張や理論が提出されたとき、その主張を支持する確固とした証拠を提出する責任は主張する側にあります。

逆に、その主張を疑問視する者、すなわち科学者は、その主張が真実であると認めるに足る証拠が存在することを要求します。

これは、彼らがその主張を無条件で否定する立場にあるというわけではなく、主張に対する論拠が不十分であると指摘しているだけです。

この原則が誤解されると、議論は進展しません。

科学者が「あなたの主張を証明する証拠が不十分だ」と指摘すると、疑似科学の信奉者は「それが誤りだと証明してみせろ」と反論する。

このような立証責任の逆転は、科学コミュニティでは受け入れられません。

また、この誤解から、科学者が全ての可能性を否定する立場にあるという誤ったイメージが生まれることもあります。

しかし、科学者は新たな発見や理論を積極的に追求し、研究の範囲を広げる役割を果たしています。

彼らが新たな主張に懐疑的なのは、科学というフィールドが誤った情報や誤解から守るための慎重な姿勢から来るものです。

疑似科学の信奉者は、自身の主張に対する立証責任を理解し、適切に証拠を提供することが求められます。

疑似科学と科学との対話

科学と疑似科学の間には、しばしば大きな溝が存在します。

しかし、この溝を埋めることは決して不可能なことではありません。

それは、双方が真実を追求し、知識を深めるという共通の目的を持っているからです。

そのためには、対話と理解が必要です。

まずは疑似科学側が自らの主張に対する立証責任を理解し、適切な証拠を提供することです。

次に、科学者もまた、新たな主張や理論に対してオープンであることが求められます。

新たな発見や理論が科学の進歩を促す可能性があることを理解し、それらに対して厳密な検証を行うべきです。

その過程で、新たな主張が証明されれば、それは科学の一部として受け入れられるべきです。

この対話の過程でこそ、前述の立証責任の原則が重要な役割を果たすのです。

立証責任は、議論を進展させ、真実を明らかにするための基本的な道具です。

その原則を理解し、適用することによって、科学と疑似科学の間の対話は、互いの理解を深め、真実を追求するという共通の目的に向かって進むことができます。

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