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超心理学研究に見る科学の危機

NHKディレクター・苅田章は、超常現象に関するその著書の中で、

「科学者たちは、自然科学の法則を記述する言葉として数式を最も重要視している。
 
数学的に美しい理論であれば、どんなに荒唐無稽でも、それが宇宙を動かす根本原理になっているに違いないと直感的に考える。
 
(中略)科学は、こうした理論と実証のたゆまぬ協調によって進化してきたといえる。」

「NHKスペシャル 超常現象 科学者たちの挑戦」、梅原勇樹、苅田章、NHK出版(2014)

とします。
 
超常現象の中でも特に人間の認知活動に関わる分野、念力やテレパシー等を扱うのが超心理学。

生物学者で超心理学者でもある小久保秀之も、超心理学の課題としてそれが数式で表せないことだ、と言います。

日本語や英語のような自然言語は、日常生活では便利に使えても、こと自然現象の記述に関してはその言葉の多義性・あいまいさが命とりに。

とっつきにくく、使いこなすにはある程度訓練も必要となる数式が、厳密性に優れた表現としてその代替手段となる訳です。

シンプルで美しい数式で表されるものは、一見「荒唐無稽」であっても(その度合いにもよるだろうが)、何らかの大きな真実が背後にあるんだろうなと感じてしまうとような数式ファーストな思考もひょっとしたらあり得るし、それは科学者のサガと言えるかもしれません。

しかしこと超心理学となると、それが科学のメインストリームになれない、もしくは科学の真正面からの一テーマとなり切れない理由、その根本のところを挙げるとしたら、それは別に「数式で表せないから」だけでもないと思うんですよね。


まずは仮説から

そこで注目したいのは苅田さんの言葉の後半、「理論と実証の協調によって進化した」の部分。
 
理論と実証の「協調」ってなんでしょうか?

科学研究は、二方向からの推論で進められます。

例えば、実験室でも宇宙空間でもよいのですが、従来の科学知識で捉えきれない何らかの現象に出くわしたとします。

それをどう理解したらよいのか?
 
研究者たちは、そのための案として様々な仮説・理論モデルを提案します(帰納的推論)。
 
これらの提案は、程度の差こそあれ問題解決の有望な解決策ですが、提案者の言うように本当に正しく現象を説明しているのか、正しい自然像を示しているのかは分かりません。

その現象を、ある側面では確かに正しく説明しているように見えてのでしょう(だからこそ立案するわけですが)。

しかし今の時点では、誤っている可能性を伴った仮説の段階です。

ではそれが正しいかどうか、どうやって判断するのでしょうか。

もちろん基本的な部分として、その理論の組み立ての過程で論理に謝りがあったり、結論が誤った仮定に基づいていたり、既に正しいことが明らかになっている理論と接続しない理論であってはなりません。
 
そういう最低限のことをクリアして構築された理論モデルが次に越えなければならない関門は、実証研究を通じての理論の検証です。

それは脳内にはない

正しいかどうか、いくら頭を悩ませても明らかにはならないでしょう。

その答えは脳内にはなく、「自然界にお伺い」を立てなければならない類のものです。

自然科学は自然を相手にそのあり様を理解する学問、と思うとこれは当然ですね。

そしてその為にこそ実験や観測を行うのです。
 
それらを通じて、当今正しさを確かめたいと思っている理論モデルが、本当に正しく対象を記述できているかどうかを検証します(演繹的推論)。
 
この過程で多くの理論モデルが「正しくない」として棄却されます。
 
一握りの仮説がその正当性を一部、または全部認められ、理論の発展と新たな理論構築、そして人類の智慧の深化に寄与していきます。

新たな現象には新たな理論を

摂氏100度で水が沸騰するのは1気圧という大気圧の下では日々確かに確認されますが、確かめてない他の気圧下ではそうとは限らず。

確かめてみると、沸点は気圧が高いほど高くなる傾向が分かる。

「水の沸騰は気圧と共に上昇する」という法則を見出し、これに理論づけをするわけですね、分子論とかで。

ではどのくらいの高気圧まで沸点上昇が起こるのか?

もちろん理論的な予測をすることは可能ですが、本当かどうかはやはり確かめるまで分からない。

で、実際確かめてみると217気圧(普段感じている大気圧の217倍!)で劇的変化が。

その気圧以上では超臨界状態となり、液体とも気体ともつかない、その中間的な物質となります。

もちろん手で触ってみることはできないのですが、この気圧では例えば水蒸気をどんなに冷やしても水にはならない(氷にはなる)、という現象が起こります。

こうなるともう今までの分子論のままでは説明不能、新たな理論が必要になります。

正しい≠無罪放免

新たに構築された理論は、それまでの検証実験の範囲内では正しさは証明されています。

しかし実証された正当性が有効なのは、あくまで検証された範囲内。

どこかに理論の適用限界があるだろう、と。
 
どこまで行ったら、どれほどの高温、高圧力、微細構造etc. までそれは正しいのか、についてはまた別に調べなければなりません。

理論の適用限界を求める探索の旅、新たな研究の始まりです。

仮説提示
→ 仮説検証
→ 正しさの確認
→ 適用限界の探索
→ 限界を越えた新たな仮説の提案
→ ‥(以下仮説検証からくり返し)

という無限のループ、これが理論と実証の協調であり、このループを経て人類の自然界への知識は少しずつ増えて来ました。

その結果が、今日私たちが手にしている自然科学です。
 
今のところこのループを一足飛びに越えて、「正しい理論」を得る手段はありません。

改めて「超心理学の危うさ」

超心理学の第一人者Radin博士は、数々の実験で人間の認知活動に関わる、現代物理学では捉えきれない現象の存在を明らかにしてきました(※)。
 
例えば数万人の規模の群衆が熱狂するようなイベントにおいて、量子現象で作動する乱数発生器(銀行口座の暗号作成などに使われる)が、数十万分の一という恐ろしく低い確率でしか起きないような出力の偏りを示す現象、とか。
 
大勢の人の意思が同期して電子機器に何らかの作用をしたかのような、統計的に有意な現象を数々捉えてきたのです。
 
と、ここまでは良いのですが、Radin博士は自分が積み上げてきたこれらの実験結果について、「従来型の科学で捉えられてきた物質とは異なる非物質的な存在を示すものだ」と言及します。
 
私に言わせれば、ここが科学的な実験を繰り返してきたRadin氏の残念なところ。
 
非物質的な世界がもしあるとして、それはどのように検証できるのでしょう?
 
「従来型の物質主義科学」とそれはどう接続するのか?
 
そもそも氏の言う「物質」とは何か?
 
非物質を口にするなら、否定されるところの物質を定義しなければなりません。
 
そして定義したところで、先ほど議論した科学研究のループ、即ち「理論と実証の協調」過程から逸脱してしまっては、それはもう科学とは言えないのです。

検証可能性に言及しないままの非物質論は、結局全く新しくない旧態依然たる不可知論に陥るのではないか、と。
 
どうも私には、物質の概念も科学の進展とともに変化してきたにもかかわらず、科学で捉えきれないものを「非物質」の名のもとにアンタッチャブルかつ超自然的なものにラベリングしてしまい、これ以上の探索(ループ)を放棄しているように見えてなりません。
 
やはりここは、検証可能な形で仮説を構築し、そして実際に検証していくという手続き意外に科学の道はないのではないでしょうか?
 
その中に物質概念の再定義や拡張はあり得ても、人知を超越した概念の導入となると、もはやそれは科学研究の敗北を意味するだけでしょう。

(※)「量子の宇宙でからみあう心たち」、D. Radin(著)、竹内薫監修、石川幹人(訳)、徳間書店(2007)

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