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やって苦しむか、やらないで後悔するか、どちらも地獄

「やらないで後悔するよりやって後悔する方がいい」

他人を鼓舞する時に使われがちな話ですが、この「やって後悔」には多くのことが含まれていると考えています。


どうしても勉強に身が入らないという中高生は多くいますが、それは全く不思議なことではなく、

周囲から話されたことであろうと自ら考えたことであろうと、勉強を頑張ることに納得していれば、中高生の時点では十分だとも考えることができます。


今回は、大学受験に腹をくくれるかどうか、広く捉えると物事を始める際の決断が意味するものについて、私の考えをお伝えします。


今の状況は再現不可能な選択と行動の連続で成り立っている


思えば私が将来のことを何も考えずに大学受験に奔走していたあの時から、現在まですべてが繋がっていることに再三気づかされます。


私が浪人せずにモヤモヤしたまま、しかし思考停止のまま滑り止めの大学に進学してしまっていたら、
予備校でピンと来た数学の先生に師事しようと自ら行動を起こさなければ、
大学に入ってからmixiをやり始めなければ、
偶然繋いでいただいた学生起業家に、自ら会いに行こうとしなければ、
同い年の学生起業家を紹介してもらわなければ、
同い年の話を聴いて心底悔しいと思わなければ、
自分の強みを勝手に決めつけて走り始めなければ、
両親に黙って借金をして、自ら完済しなければ、
やりたいことを明らかにして、恩師に自らコンサル依頼をしなければ、
メンターから課されたタスクをやり切れなければ、
続けてきたことを一旦すべてストップして、人生を考え直さなければ、
当時のご縁でお声をかけてくださった方のお誘いを断ってしまっていたら、
田中先生・伊藤先生からのご提案に即答しなければ、
修士論文と事業1年目の同時並行に耐えきれなければ、
今のメンバーが私やパラリアを見つけてくれなければ、
そして自ら連絡を取ってきてくれなければ、
何より、今ご縁があるご家庭にパラリアが興味を持ってもらえなければ、


振り返れば振り返るほど、もう一度再現するのは不可能な経緯で現在に至ることを再確認します。


これらはすべて、自分と周囲の方を全員含めた行動によって成り立っています。

自分がどこかで一回でも違う行動をしていたら、周囲の誰かが一回でも別の行動をしていたら、今はありません。



「やって後悔」に含まれる二つのこと

上記のことを振り返って感じることが二つあります。

一つは、「もっと早く走り始めていれば」という感覚です。

現在から過去を解釈した時、「あの時の経験は意味があった」と考えることはそれほど無理なくできてしまうことも多いでしょう。

一方で少なくとも、「自分の強みを決めつけて走り始める」や、「事業を立ち上げる」など、周囲との関わり方や環境を一気に変える行動は、あえて時期を待つほどのものではなかったと思います。


決断して先に進めば進むほど、もっと早く経験を積めたのではないかと考えることもできます。

こういった「もっと早くやりたかった」という後悔は、やったからこそできる後悔です。


「やって後悔」に含まれるもう一つのことは、「目標に向かって走る苦痛に耐える」ということを、自らと契約することです。

上手に目標設定をすると、それだけでワクワクします。そのワクワクを原動力として、行動を起こせる人もたくさんいます。


しかし、目標達成に必要な行動は、ワクワクだけでできるものばかりではありません。むしろ楽しくない、面倒な、辛い、大変な行動の方が多いこともたくさんあります。

その苦しみに耐えて、目標を達成することを自分と約束すること、これが「やって後悔」に含まれる二つ目のことだと考えています。


自ら苦しむ契約をするか、取り返しがつかない程後になるまで鎮痛剤でごまかして後で後悔するかを選択する


大学受験を控えたご家庭の中には、上記のような選択を無意識のうちに行い、どう転んでも不安から解放されないご家庭も多く存在すると考えています。


私が考える最も危険な事例は、親御さんもお子さんも、ただ受験という時間が過ぎ去るのを待っている状態です。

受験生本人は将来のことも考えず、進路も考えず、親や学校の先生から怒られないように「そこそこ良い子」として振舞いながら、成績が上がらなくても悔しがらず、形式上の志望校を提示して、それなりに頑張って見せることで、周囲から受けるストレスを最小化している状態。

一方親御さんは、「学校に行かせているから大丈夫」・「塾に行かせているから大丈夫」、結果が伴わなかったらそれは学校のせい、塾のせい、本人のせい、親としての役目は果たしたから自分は悪くない、と周囲のありとあらゆるものに責任転嫁している状態。


一方で、すべてを真正面から捉えてしまうのも問題です。

受験生本人は成績が上がらないことに対して、「努力が足りない」とばかり考え、メンタル的に落ち込みきって鬱になってしまったりします。

親御さんは、子供の成績向上のために就寝時間や起床時間、勉強方法にまで口を出し、子供の周囲のことを手取り足取りサポートすることによって「自分はできることをやっている」と、親としての安心感を得ていたりします。


「大学受験をする」という目標を掲げた以上、真面目に考えても苦しく、見て見ぬふりをすればその場は楽かもしれませんが、後々取り返しのつかない後悔をするリスクを負います。

ハッピーエンドではありませんが、目標に向けて努力することは少なからず苦しいことだと私は考えています。



「目的は何なのか」を自覚して、忘れないように繰り返し確認して、どんな苦痛には耐えるのか、そして今の苦痛は耐えるに値するものなのか

こういった振り返りを重ねることによって、親子ともメンタル面が強化されるのではないかと考えています。


●まとめ:目標に向かって努力する際に必要な意思決定
自ら苦しむ契約をするか、取り返しがつかない程後になるまで鎮痛剤でごまかして後で後悔するかを選択する

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