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流されて生きていますけど、何か?

2019年になりました。新年になるとそこら中から湧き出てくる「今年の抱負は?目標は?」と訪ねてくる人。この時期はどんな人でも1度は聞いたり聞かれたりするんじゃないでしょうか?
私は年間通してけっこうこういう質問をされる事が多いのですが、実は特になにもありません。目標をもってそれを目指して突き進んでいる姿は、私も美しいと思いますが、目標や夢をもってないことが悪とされる意識高い系の世の中はいかがなものかと感じています。
私自身、飲食業の会社と内職斡旋業の会社の2社を経営している身ですが、立場的に目標や夢をもっていて当然のように思われることが多いんです。
だから「流されて生きているので特にありませんよ」と答えるとけっこうビックリされます。

目標に向って一歩一歩階段を上る生き方

20代前半の私は世の中の意識高い系に漏れず、目標を掲げそれに向って日々努力をしていました。一歩一歩理想の姿を目指して階段を上っているような感覚が常にありました。人として、男として、経営者として、経済人として、それぞれに理想像を高く掲げ勉強して努力して実践していました。
もちろん努力は私を裏切らず、自分で言うのもなんですがかなり成長していたと思います。そんな実感がまた目標を高くして、さらに成長するという好循環すら感じていました。

目標を達成する事は気持ちが良かったです。いつも新たな目標を追い求め、目標に向かっている自分かっこいいと強く思っていました。さらに目標を持たずに生きている同世代の友達を見下し、馬鹿にしていたと思います。いわゆる意識高い系な若者ですね 笑

成長して嫌な奴になる自分

当時の私は、仕事やスキル的な成長をしていれば、自然と人間的にも成長するものだと思っていました。しかし現実には目標を持たない人や仕事が出来ない人を蔑む様になり、さらに自分より高い目標を持つ人や大きい仕事をする人に劣等感を感じる様になってしまいました。すごく嫌な奴です、絶対に友達になりたくないです 笑

ある時、そんな自分が急に嫌になった時期がありました。しかし、目標を立てて成長し続ける自分をなかなか変えることが出来ませんでした。目標を掲げそれに向って上り続ける生き方しか知らなかったんです。

目標を持たなくても人は成長する

目標至上主義だった私ですが、ある時気がついた事があります。
目標を掲げてそれに向って努力をしていなくても、生きていれば人間は自然と変化していくものだということです。当たり前のことなんですが、目標至上主義の私には、目標を持たない人間は「いつまでも変わらない奴ら」でしたから、その変化に気づけなかったんだと思います。そもそも変化したくなくても生きていれば自然と誰しもが変化せざるを得ないものでした。
それに気がついた時に思いました。その「変化」と「成長」って何が違うんだろう。変化は自然としてしまうもので、成長は意図してするものなのか。

当時の私の結論としては、嫌でも状況や世の中に合せて自分を変えていくものを変化、自分で思い描いた姿を目指して自分を変えていくものを成長と位置づけました。

ここで皆さんにも少し考えてほしいです。
自分の理想へと自分を成長(変化)させ続ける人と、世の中に合わせて自分を変化(成長)させていく人、どっちが社会的に価値のある人なんでしょう。
まぁこれに関して正しい答えがあるわけではないですが、私は世の中や世間、誰かのために自分を最適化できる人って魅力的だなって思ったんですよね。

上善如水(じょうぜんじょすい)

私の好きな言葉で上善如水というものがあります。
大昔の中国の偉い学者さん 老子 という人の言葉で、理想的な生き方は水のように生きることであるという意味です。その理由を大昔の中国のお弟子さん風に言うと、子曰く(お師匠は言いました)水は善く、万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る(水は色々なものを助け育てながらも自己主張をせず、誰しも嫌う低きへと下る)としています。更に水は環境や状況において、その姿を液体・個体・気体へと変化をさせます。

私は自分を世間に最適化(成長)しようとする時、いつもこの言葉を思い出します。水の様に色々なものを助け、水の様に慎ましく、水の様に下へ下へとへり下り、様々な姿に形を変えて世の中から求められるように最適化してしまう。まさにお水のように流されて生きていく生き方です。

階段を上るより流れに乗った方が早いに決まってる

水の様に流されるまま自分を最適化(成長)して生きていこうと決めた私は、それから出来るだけ、目標や抱負を持たないようになりました。そして自分の「こうしたい」よりも誰かの「こうしてほしい」に全力で自分を最適化するように努めました。正に流されるまま、求められるまま、逆らわず流れに身を任せてユラユラと漂うようにしてみたんです。

そこに意識をもっていくと、以外と様々なことに抗って生きていたんだなと気付きました。誰かに何かを求められても「でも自分にはやりたいことがある」という理由でやらなかったことが山ほどあるんだと分かりました。

そんな流されまくる生き方を暫く続けていると驚くことに今までの様に目標に向かって階段を一歩一歩登っていた時よりも変化(成長)するスピードが格段に上がったことに気が付きました。
今になって考えてみれば簡単なことなのですが、単純に階段を上るスピードよりも水に流されて川を下るスピードの方が早いに決まってるんですよね。しかもこの川は下れば下るほど広くなっていきます(川なんでね)。階段は上れば上るほど狭く孤独を強く感じる様になっていってたのに、川は下れば下るほど広がり色々な人が集まってきました。
もちろん言うまでもなく、階段を上る労力と川を下る労力は流されている方が圧倒的に楽チンです。

流される生き方最高ジャマイカ

このように世間的によくないとされる「目標を持たない生き方」は意外と素敵な生き方だったんです。けっこういつも極論な私はもう全力で流されるために自分の意志(オール)を出来るだけ持たないようにしています。流され始めはびびってオールつきのボートに乗ってたんですが、途中でオール捨てました 笑
もうね、いつどこにぶつかるかわかんないし、どこに辿り着くのかも分かんないし、転覆するかもしれないし、でも早い。まぁ神のみぞ知る的感覚でしょうかね。とても気持ちが良いですよ。

さてさて、お話を1番最初に戻しますがあなたの新年の抱負はなんですか?

私の抱負は今年も変らず「全力で流されて生きて行く」です。よろしくどうぞ。

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