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内側と外側と分離

わたしたちは通常
生きているうえであまり意識しないと思うのですが
入れ物である肉体スーツ
中身の操縦者である魂
このふたつに分類されます

それは内側と外側とも
言われたりします
外側の世界は3次元地球上の
現実と思っている世界です

探究始めの頃はこういう理屈は
頭で理解できます
瞑想続けていくうちに
魂としての内側と肉体としての
外側も感覚的に判ってきます

ワンネスの体験をすると
ミナモトってのか
根源というのか
みんなひとつの根っこみたいな
とこに固まっている

なんて感じるので
3次元地球上に生まれ落ちてくるときに
そこから剥がれ落ちてくるような
イメージを持っちゃったり
することもあるのですが

なので分離
なんて表現してしまうのですが
この感覚を感じているうちは
まだまだ外側の世界の洗脳から
解けていない状態と思います

そもそも塊から剥がれ落ちてくる
なんて意識自体がこの3次元地球の感覚
そのものだからです

常に繋がっているし
もちろん根っこであるソースと
繋がっているし
ここ地球上の全てのものとも
繋がっている

生まれる前の記憶を持っている
ひとの体験したイメージで
天の上から地上のお母さんめがけて
飛んで来るなんて話を聞くと

分離

なんて感じるかもしれないけれど
恒に繋がっているという
説明不足というわけで
勘違いしてしまいます

肉体スーツのなかの
創造主であり操縦者としての
わたしは肉体というフィルターを
通した世界の情報の
情報漬けとなり

洗脳という色付けをされていきます

このフィルターを通した
情報がクリアになるにつれ
本来の自分自身がなんとなくわかってきます

ここで分かれ道がやってくる
パターンが多いように思いますが
諸々のこの仕組みの中で
肉体スーツの世界をなりきって
体験してみたくなるのです

明確に認識している場合もあれば
知らず知らずのうちに
体験をしていることもあるようです

ひとたび、内側も外側も
ひとつになって
再び内側と外側になって
外側の世界を存分に楽しんでみる

ってひと。。。

そろそろ増えてきても
いいんじゃないかな


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