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大谷翔平選手のルーツが「マリリン・モンローのお尻」だった話

私の行きつけの喫茶店には、教養豊かで風変わりなマスターがいる。
コーヒーを片手にマスターの小話に耳を傾けるのが、私のひそかな楽しみだ。

午前9時。私はいつものように、開店と同時に喫茶店を訪れた。
カランコロンと扉を開けると、軽快なクラシック音楽と壁一面の本(マスターの蔵書)が出迎えてくれる。

お気に入りのテラス席へ腰かけようとしていたら、「おはよう!」と声がした。
マスターだ。
気づいたら目の前にいた。マスターは、いつも神出鬼没だ。
 
「プロ野球なんか、好きですか?」
爛々とした目でそう尋ねる。
マスターの手には、朝刊が握りしめられていた。

「あんまり。マスターは好きなんですか?」
「いや、あの、やっぱり小さい時は好きやったから。」
 
マスターは御年77歳。1946年、終戦の年の生まれである。

「今日の新聞やねんけど、見てみ。」
 
マスターが新聞をチラと掲げる。
文字が小さく読みづらいが、「中西太」「モンローウォーク」の見出しが見えた。
 
「マリリンモンロー、知ってるでしょ?」
マリリンモンローは私も知っている。
あれでしょう。通気口に立ってパンツを見せつける人!真っ赤な唇の。
でも中西太って・・・誰だろう?
新聞を受け取り、座り直す。
新聞を広げ、1文字目を読もうとしたらまた声がかかった。
 
「中西太さんは、野球選手なんですよ。
野球とマリリンモンロー、関係ないと思うでしょ?読んだらわかるわ。」
 
読んだらわかるわ、と含み笑いするマスター。よほど面白いことが書かれているらしい。
私は新聞を読むのはほぼ初めてだ。レイアウトが独特だな。
段落の途中で文章が右へ左へ飛んでいくから、読むのに時間がかかる。
 
「西鉄ファンの父親のヒーローは中西太だった。
ただ筆者は、巨大な尻を振り振り打席に入り、豪打を連発した中西さんの全盛時を知らない。」

 
ええっ。
出だしからサッパリだ。全盛期どころか、私は中西太さんを知らない。
身構える私。

落ち着け。とにかく集中、集中だ。

「1953年 平和台球場、中西太、最長本塁打」・・・。

「中西太選手とモンロー・ウォーク」

1953年平和台球場。中西太、最長本塁打。
スコアボード超の162メートル弾は自身でも入るとは思わず、懸命に打ったが打球の行方は見ていないと言う。

「打球は下半身で飛ばすんだ」中西さんはそう語る。

1950年代、豪快な打撃で数々の伝説を残した昭和の名選手「中西太」

ヤンキースのジョー・ディマジオ選手は新婚旅行で来日した時、練習中の中西選手の巨尻に見惚れてサッとなでた
同行の夫人は世界一のヒップの持主、マリリンモンローだというのに。

マリリン・モンローとジョーディ・マジオ

中西選手は西鉄黄金時代を率いた三原監督の長女と結婚し、戸籍上は「三原」となった。
義父が監督術を記した三原ノートは中西さんが引き継ぎ、日本ハム栗山英樹さんに託された。
その集大成が大谷翔平を始めとする侍ジャパンが優勝を飾ったWBCだった。
 
栗山さんは中西さんの訃報に際し、
「私の野球人としての全てのベースをつくって頂きました。
この世界一も全て中西さんのおかげです。」
とコメントしている。
昭和の打撃王・中西太の、野球界への見事な置き土産だった。

マスターの解説


その中西っていう人が現役時代、どのくらい凄かったか想像つきますか?
「162mのホームラン」っていう話があったでしょう。
今、大谷選手がダイリーグで130mのホームランを打ったら「超特大」って言われるけど、この人は162m飛ばしたんです。

僕は中西さんと同時代ですから、ラジオや新聞で彼のことは知ってました。
中西さんのことで覚えてるのが、彼が高校時代に打撃練習してる時の話。
今高校野球は金属バットですけど、昔は木製でした。
この人がファウルチップ打ったら、焦げ臭いにおいがするねん。
バットが摩擦で焦げるんや!
 
栗山英樹監督の話も出てたでしょ?
中西さんに「三原監督のノート」を借りたって。
今、大谷翔平選手の二刀流を日本初みたいに言うけど、僕の記憶では中西さんの義理のお父さんやった三原監督が、ある選手をピッチャーとバッター両方で使ってたことがあるねん。
 
永淵洋三っていう選手です。
ただし大谷さんみたいに先発じゃなくて、例えばピンチの時に三原監督が玉投げてこい言うて、1回か2回抑えるでしょ。
次の回からは外野を守って、ほんでそのまま、今度は打撃や。
永淵さんはそれで一回、首位打者になったことがあるねんで!

三原監督のこういう独特な采配は「三原マジック」と呼ばれて、注目を集めたんです。
その時のいきさつを書いたノートが「三原ノート」
この「三原ノート」を義理の息子の中西さんが持ってて、さらにそれを栗山監督が家へ持ち帰って読んでたわけ
 
三原ノートを受け継いだ栗山さんは日本ハムの監督になり、大谷翔平選手をドラフトで取ったんです。
ドラフトの時から大谷くんは俺は大リーグに行くって言うたけど、栗山さんは口説いた。
お前今すぐ行ったって、向こうで活躍できるかわからへんよって。
いずれ大リーグには行かしたるから日本で準備せえと。
大事に育てたら、やっぱりすごい選手になったやろ?
それで時期が来たから、栗山さんは大リーグへ気持ちよく送り出したわけや。

(多分栗山監督は関西弁ではなかったと思うが、なるほどそんな話だったのか。)

だから栗山さん、新聞の最後に「WBC世界一は中西さんのおかげです」って言うてるんです。
中西選手から三原監督のノートを受け継いで、野球を研究したからや。
 
こんな短い記事の中に、そんだけのエピソードがつまってるわけ。 
こうやって話聞いてたら、野球への興味が倍増するでしょ?
野球、おもろなるやろ。

参考文献・資料等


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