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エジプト"初"のMtFサリーとアズハル大学

サリー・ムルシー、現サリー・ムハンマド・アブドゥッラー(سالي مرسي Sally Mursi、現سالي محمد عبد الله)は1968年3月30日生まれ、1988年にエジプトで性別適合手術をうけたエジプト人(MTFトランスジェンダー)です。

アズハルの宗教指導者タンタウィーから「SRSを認める」とするファトワーを引き出したり、アズハル大学医学部とバトったりと、エジプトのトランスジェンダー・GID・MTFを語るうえで欠かせない存在と言えます。自身もアズハルの医大生だったという、かなり、傑出した存在といえると思います。

以下、後述の参考文献を参照し、その経歴をまとめてみました。

1.サリーがSRSを受けるまで

1968年出生時はSayed(サイード)と名付けられた。父は鉄道関係、母は専業主婦、5人兄弟の末っ子、兄が2人、姉が2人。

母は「普通の男の子」じゃなかったサリーを精神科につれていき、男性ホルモンの投与もうけたとのこと。思春期を通して兄弟と話すこともなかったという。サリー曰く、自身は勃起したこともなく、自慰行為をしたこともないという。性的指向は男性であったという。

1982年、サリーはまず心理学者のサルワ・ジルジス・ラビブ(Salwa Jirjis Labib)に相談、3年間の転向療法(Conversion therapy;心理的または精神的介入を用いて、個人の性的指向・性自認を変更しようとする疑似科学的試み)を受けた。結果、ジルジスはサリーを外科医に紹介した。ジルジスは、母が42歳のときに外からホルモン異常にさらされた結果、サリーが「性転換症 [al-khunutha an-nafsiya]」になってしまったとした。

その後、サリーは形成外科医のエッザト・アシャマッラー(Ezzat Ashamallah)に紹介された。セカンドオピニオンとして紹介された心理学者ハニ・ナジブ(Hani Najib)にもすぐに「性転換症(transsexual)」と診断され、1988年1月29日に手術を行う前にホルモン補充療法を1年間実施し、女性の格好で女性として暮らすいわゆるRLEを行った。

1988年1月29日(当時19歳)のSRSは、エッザト・アシャマッラー(Ezzat Ashamallah)によって、陰茎切除と人工膣形成と尿道の移動が行われた。

2.アズハル大学とサリー

サリーはアズハル大学の医学生だった。医学部では解剖学を学び、自分の状態や治療法についての資料を多読したという。お世話になった教授のつてで、SRSを行うことになる医師の一人とつながった。費用は3,000ポンド程度かかったという。

彼女は女性の格好をしていたため停学となっており、性別移行後は大学から追放された。すなわち、アズハルはサリーを医学部男子課程から追放し、女子課程への異動が拒絶された。

同時に、アズハルは形成外科医のエッザト・アシャマッラーを提訴し、医師のシンジケート(the Physician’s Syndicate)から削除。

そのシンジケートは、ムハンマド・タンタウィー(アズハルの宗教指導者)にファトワーを求めた。タンタウィーは健康面からSRSを認めるファトワーを出した。が、タンタウィーはこの問題を医学の問題で医師の裁量によるものとしていた。アズハルは裁判所にアシャマッラーへの訴えを提訴し、その中でサリーは全身の身体検査を受けた。検査員はその診断(transsexual)を確認し、アシャマッラーは罪に問われなかった。

2006年、サリーが38歳前後のとき、エジプトの最高行政裁判所は、サリーがアズハルの医学部女子課程での研究を完了する権利があると判決した。すなわち、大学の「医学部女子課程で登録しない」とする決定を支持しなかった。

3.サリーの女性としての人生

SRS後、サリーはエジプト最大のベリーダンスのスクールに通ったあと、2年間エジプト最大のホテルでダンサーとして働くなどした。ダンスに行ったのは、「第三の性」などではなく、女性であることを周りに証明するためだったという。女性だけの職業を選んだという。しかし、文化省はダンスの許可を与えず、道徳警察は問題視し、政府は男性に課される兵役を行っていないとして訴えた。

サリーは20歳前後に1回女性であると証明するために電子エンジニアと、32歳に1回宝石商と、2回結婚した。

サリーは子供ができないため、子供のために働くことで子供への愛情を補おうと、教師として働くことにした。現在は、人権センターで働き、性的な障害のある人々の支援をしている。

ヒジャーブを着る理由は、①神から課されたため、②ヒジャーブの必要性、③ムスリムであるから、ということである。

サリーはSRSを受けたことを一度も後悔していないという。


参照記事

参照① July 2004 Volume #25 Issue 07「Sally’s Story」 "Egypt Today - The Magazine of Egypt"(補足:エジプトの医師3,4名の見解あり)

参照② Jakob, Skovguard-Peterson (1995-04-01). "Sex Change in Cairo: Gender and Islamic Law". Journal of the International Institute. 2 (3).(補足:医師のシンジケートについての記載あり)

https://quod.lib.umich.edu/j/jii/4750978.0002.302?view=text;rgn=main

参照③  "حوادث وقضايا - جريدة الأخبار". مؤرشف من الأصل في 28 مارس 2008. اطلع عليه بتاريخ 25 يناير 2020.

https://web.archive.org/web/20080328095850/http://www.elakhbar.org.eg:80/issues/17040/1100.html

参照④  بعد 20 عاماً اليوم السابع تحاور صاحبة أول عملية جراحية لتصحيح الجنس بمصر. اليوم السابع نسخة محفوظة 27 أبريل 2020 على موقع واي باك مشين.(補足:2010年7月26日のサリーへのインタビュー)


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イランのサリー・ムルシーにあたるマリアム・ハトゥーン・モルカラ。

サリーが自身も医学生としてアズハルを舞台に医学・イスラム法学の網目を潜り抜けたとしたら、マリアムはときの権力者に訴えかける形で権利を認めさせていったタイプといえそうです。

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