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マリアム・ハトゥーン・モルカラとイラン性同一性障害者支援協会ISIGID

近現代イランにおけるトランスジェンダーの扱いについては、下記の記事にしました。

なかでも、「Maryam Khatoon Molkara(مریم خاتون ملک‌آرا)」さんの人生が決定的な影響を与えているようですので、こちらの記事で紹介いたします。

参照したのは、まずはwikipediaの「Maryam Khatoon Molkara」記事、それと、そのソースとなった元の記事などです。


1.モルカラの来歴

1950年生まれ、2012年3月25日没。

父親の8人の妻のうち2番目の妻の一人っ子。父親は地主。本人いわく、女の子向けとされた服、おもちゃ、活動を常に好んでいた。
思春期に、モルカラは女性の格好でパーティーに行った。モルカラは母親にトランスジェンダーであるとカミングアウトしたが、母親は彼女を受け入れることを拒否した。これにより、モルカラはすぐに手術をするのではなく、女性ホルモンを服用することを決めた。彼女はまた、女性の服を着て、女性として暮らした。

1975年にモルカラはロンドンに旅行し、彼女のアイデンティティについてさらに学んだ。モルカラは、自分がゲイではなくトランスジェンダーであることを受け入れたと述べている。

モルカラは、イラクに亡命していたアーヤトッラー・ホメイニ師に手紙を書き始めた。出生時に誤った性別(ジェンダー)を割り当てられ、そこから抜け出さなければならない状況について、宗教的なアドバイスを求めた。これらの手紙の1つにおいて、彼女は2歳のときから彼女の性別(ジェンダー)がはっきりしていると述べている。というのも、化粧のまねごとで顔にチョークを塗っていたからという。

ホメイニ師はすでに1963年に、インターセックスの人のための矯正手術がイスラム法に反しないと書いている。そしてホメイニ師の答えは、このファトワーによるもので、トランスジェンダーの人々のための新しいファトワーを出すことではなかった。ホメイニ師はモルカラが女性として生きることを提案した。

この後、モルカラはパーレビ国王(モハンマド・レザー・パフラヴィー)の妻ファラー・ディーバーと会った。ファラー・ディーバーは、性別適合手術を望んでいるモルカラや他のトランスジェンダーを支援した。

1978年、モルカラはホメイニ師が拠点を置いていたパリに行き、トランスジェンダーの権利について彼に気づかせようとした。

イスラム革命後、モルカラは彼女のアイデンティティに対して激しいバックラッシュに直面することになった。彼女は多くの尋問、逮捕、殺害の脅迫を経験することとなった。彼女はイラン国立ラジオテレビでの仕事から解雇され、女性の服装をやめさせられ、彼女の意志に反して男性ホルモンを注射され、精神科の施設に拘留された

ハーシェミー・ラフサンジャーニー(Akbar Hashemi Rafsanjani)をはじめとする宗教指導者と良好な関係があったため、彼女は釈放された。

イラン・イラク戦争の開始時に、モルカラは最前線で看護師として志願した。モルカラは、彼女が治療した男性の何人かは、彼女の優しさのために彼女が女性であると考えたと語っている。

モルカラは、性別適合手術を受ける権利を求めて運動を続けた。1985年、彼女は北テヘランのホメイニ邸でホメイニ師と対面した。彼女は男性のスーツを着てコーランを運び、首に靴を結んだ。これはアーシューラー祭を示したものであり、また、彼女が避難所を探していることも示していた。

モルカラは、ホメイニーの兄弟であるハッサン・パサンディデがとめるまで、警備員に拘束され殴打された。ハッサン・パサンディデはモルカラを自身の家に連れて行き、そこで彼女は「私は女性です、私は女性です!」と声を上げて彼女の問題について感情的に訴えた。ハッサン・パサンディデの警備員は彼女の胸を見て、彼女が爆発物を運んでいる可能性があると考えていた。モルカラはそれは彼女の胸であり、ホルモン療法を使用してそれらを大きくしたことを明かした。

彼女の話を聞いたアフマド・ホメイニーAhmad Khomeini(ホメイニ師の息子)は感動し、モルカラを連れて父親と話をした。そこで彼は、十分な情報に基づいた決定を下すために、3人の医師に手術について尋ねた。

その後、ホメイニ師は、モルカラが宗教的義務を遂行できるようにするためには性別適合手術が必要であると決定した。これにより、ホメイニ師はファトワーを発した。これは、性別適合手術がイスラム法に違反しないと判断されたことを意味する。

モルカラは、イランで適切な医学的知識と手続きが実施されるようロビー活動を行い、他のトランスジェンダーの人々が手術を受けるのを支援することに取り組んだ。彼女はイランの病院での手術の質に満足していなかったため、1997年にタイで性別適合手術をうけた。イラン政府は彼女の手術の費用を支払い、彼女は他の多くのトランスジェンダーの手術のための政府資金の確立を支援することができた。

2007年には、彼女は「イラン性同一性障害者支援協会 Iranian Society to Support Individuals with Gender Identity Disorder (ISIGID、انجمن:حمایتازبیمارانمبتلابهاختلالاتهویتجنسی ایران )」を設立し運営し、それはイランでトランスジェンダーの権利のために活動する最初の公認された組織となった。それ以前は、彼女はカラジュにある自身の家や家財を使用して、他のトランスジェンダーの人々が法的アドバイスや術後ケアを含む医療を受けるのを支援していた。彼女は長年、他のトランスジェンダーの人々を擁護・代弁し続け、逮捕された後は保釈してあげた。たとえ、彼女自身がそうすることで暴力に直面する可能性があると、知りながらでもある。
モルカラは62歳で心臓発作を起こした後、2012年に亡くなった。


References
"Human Rights Report: Being Transgender in Iran" (PDF). Outright. Action International. Retrieved 2018-08-06.
Fathi, Nazila (August 2, 2004). "As Repression Lifts, More Iranians Change Their Sex". The New York Times.
Tait, Robert (July 27, 2005). "A Fatwa for Freedom". The Guardian. London. Retrieved 2010-05-12.
McDowall, Angus (25 Nov 2004). "The Ayatollah and the transsexual; That Maryam Khatoon Molkara can live a normal life is due to a compassionate decision by one man: the leader of the Islamic revolution himself". The Independent.
Najmabadi, Afsaneh. "Reading Transsexuality in "Gay" Tehran (Around 1979)". Transgender Studies Reader. 2 – via Harvard Library.
Alipour, M. (2017). "Islamic shari'a law, neotraditionalist Muslim scholars and transgender sex-reassignment surgery: A case study of Ayatollah Khomeini's and Sheikh al-Tantawi's fatwas". International Journal of Transgenderism. 18 (1): 91–103. doi:10.1080/15532739.2016.1250239. S2CID 152120329 – via EBSCO.
Anonymous. "Pressure from above". The Economist. 431 – via ProQuest.
Jafari, Farrah (Spring 2014). "Transsexuality under Surveillance in Iran". Journal of Middle East Women's Studies. 10 (2): 31–51. doi:10.2979/jmiddeastwomstud.10.2.31. S2CID 143960695 – via Project MUSE.
Abedinifard, Mostafa (2019). "Transgendered Subjectivities in Contemporary Iran". Global Encyclopedia of Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, and Queer (LGBTQ) History – via Gale eBooks.

2.感想・イラン性同一性障害者支援協会ISIGIDについて

圧倒的な行動の人で、ときの権力者の心も動かし、先駆者として道を開き、また、後進のサポートにも熱心だった人物だったことがわかります。

このような卓越した個人を生み出したイランは幸運といえそうです。

あるいは、卓越した個人が動かすのがイランという社会でしょうか。

タイの病院も気になりますし、パーレビ国王の妻の支援内容も気になりますし、ハーシェミー・ラフサンジャーニーら宗教指導者との関係も気になります。もっと調べてみたいです。

なお、「イラン性同一性障害者支援協会 Iranian Society to Support Individuals with Gender Identity Disorder (ISIGID、انجمن:حمایتازبیمارانمبتلابهاختلالاتهویتجنسی ایران )」については、下記HPに書かれたアドレスgid.org.irを調べてみたのですが、わかりませんでした。協会は精神科医や心理学者や社会活動家らで活動されるようであり、術後の生活について職場環境といったレベルでもサポートを行うもののようです。場所はテヘランのخیابان آزادی – خیابان اسکندری شمالی – کوچه مهبا - پلاک 4のようです。

無題


3.日本語表記について

日本語表記ですが、下記のうち、③を選びました。

①「マリアム・ハトゥン・モルカラ」

②「マリアム・カトゥン・モルカラ」

③「マリアム・ハトゥーン・モルカラ」

④「マリアム・カトゥーン・モルカラ」

⑤「マリアム・ハートゥーン・モルカラ」

⑥「マリアム・カートゥーン・モルカラ」

خاتون khātūnとはトルコ語でhatun(→女性の「~さん」たとえばAyşe Hatunとか)すなわち、チンギスハーンのハーンの女性形のhatunのことだと思いますので、①ハトゥンにしようかと思いました。それに、「バグダード・ハトゥン」「テルケン・ハトゥン」「ハトゥン・パンジェレ(貴婦人の窓と訳される焼き菓子)」と、イラン地域の女性で「ハトゥン」としている例は多いです。

しかし、英語表記はKhatoonと、長母音ooになっていますので、現地読みに合わせる形で、③ハトゥーンとしました。(長母音がないと、ペルシア語というよりトルコ語っぽくなってしまいますね。。現地読みに合わせるなら⑤ハートゥーンの方がいいか、、どっちだ、)

なお、カトゥーンですと、某アイドルグループになってしまいます。

とはいえ、ペルシア語の読み方、転写法の慣例からして誤っておりましたら、ペルシア語クラスタの方、ご指摘くださいますと幸いです。m(_ _)m


4.関連記事

マリアムがときの権力者に訴えかける形で権利を認めさせていったタイプだとしたら、サリーは自身も医学生としてアズハルを舞台に医学・イスラム法学の網目を潜り抜けたタイプといえそうです。

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