「多様性」といって思考停止してたら、差別にもつながる。
オリンピック開会式&閉会式、「多様性を演出してる」といいながら、何が多様性なのか、サッパリわかりませんでした。
それはさておき。
「多様性(ダイバーシティ)」はいいのですが、多様性でもなんでもないものを「多様性」と表現してしまうと、差別にもつながるような気がします。
すなわち、発話「多様性だね」は、「私とは違うね」の意味のときがあると思います。
たとえば、
「私は在日朝鮮人です」「多様性だね(≒私たち日本人とは違うね)」
「あなた、元男性だったの?多様性だね(≒私たち女性とは違うね)」
まあ、「私たち皆同じだよね」の同調圧力もキツイので、「言い方次第」で良くも悪くもなるんでしょうね。
一般的な話としては、「多様性」で思考停止してはだめで、「どのように・なぜ・どこが・どういう経緯で・誰にとって多様なのか」、というのを追っていかないと、まったく意味がないと思われます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?