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伝わって欲しい、が強いとき。

伝わって欲しいが強い時ほど、その気持ちは相手に届きにくくなるのかもしれない。

生活している環境も家族との関係も、何を大切にしたいかも、これまで経験してきたことが全く同じという人は居ないから、そこから生まれる感情も考え方も、当然ひとり一人異なる。それを分かっていても、好きなものが同じ人や似ている考え方の人とは話が合うし、話の内容も盛り上がる。


自分の大切なものを人に伝えるというのは簡単なようでとても難しい。意識して話さないと、無意識に「あなたも好きになって」と相手に押し付けてしまうことがあるから。それを直接言葉にしていなかったとしても、それと同じことを言っているのと同じになってしまうこともある。相手の受け取り方次第と言ってしまえばそれまでだけれど。

自分の好きなものを、相手も好きと思ったらそれはとても嬉しいことだけれど、無理やり好きになって欲しいとは思わない。自分の大事にしたいことや考え方が相手にも通じる部分があったら、それももちろん嬉しいけれど、だからといってその人の大事なものを無視してまで自分の考え方を押し付けることはしたくない。


自分の大切なものの話をする。それはきっと、話す相手がその人にとって大切な人だから。好きな人、大好きな友達、家族。「大切」の形はそれぞれだ。でもその前に、好きな人だから、友達だから、家族だから…沢山の「◯◯だから」で、その人自身を無視している場合がある。〈自分の友達〉の前に、その人は自分とは違う人であること。〈自分の家族〉の前に、家族ひとり一人が一人の人間であること。そのことをつい忘れて、伝えようとしてしまう。

今日会った人と、「自分を他人として見ることができたら、自分にも優しくなれるかもしれないね」という話をした。自分自身を客観的に見るのは、見れているよう見れていなくて、見れていないようで見れている、そんなものなのかもしれない。「客観的に見れている」の判断はとても難しいことだと思う。それでも、

「◯◯だからは理由にならない」

それは相手から見た自分にも言えることだということ。それは思い出せるようにしたいと思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。