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ぬるま湯のような時間を。


熱くもなく、冷たくもない。ぬるま湯のような時間は一見無駄と思われてしまいそうだけれど、実はそうでもないと思う。


『裸一貫!つづ井さん』を読んで、それを改めて感じる。例えば、お風呂に入ったことを全力で讃え合うつづ井さんとその友人たち。

お風呂に入ることは、おそらく多くの人が毎日当たり前として行う。普段「人間として当たり前」と思われていて、それを毎日していることに何の疑問も抱かないことは結構たくさんあると思う。

気分の落ち込みが激しいと、身体を動かすことすらしんどい時がある。数年前は特に、わたしもこういった状態になることが度々あった。そうなって初めて、当たり前に毎日していたことができなくなるしんどさを知った。そしてできない自分をたくさん責めた。

子どもの頃は「よくできたね」と花丸をもらえたことも、大人になれば「そんなこと当たり前」として片付けられてしまう。でも大人だって、花丸は欲しい。なにか凄いことをしないと、努力を認めてもらえない。それが大人にとって当たり前だと思っている。本当にそうだろうか。

毎日当たり前にしていることを、友人たちと一緒に褒め讃えてみる。お風呂に入った「ただそれだけ」のことをひたすら褒め合う、ぬるま湯のような時間だとわかっていながら。その時間は、ぬるま湯のようでいて実は身体がぽかぽか温まる、ちょっと熱めの気持ちよいお湯加減だったりする。その温かさは疲れた身体に染みわたる。それを友人同士で共有するのは、くだらなすぎて、している自分たちがばかばかしくて、そのばかばかしさが堪らなく愛おしい。


「ただそれだけ」のことをした自分に、一日の終わりに拍手を贈る。自分でするのが難しければ、人に頼んでみてもいい。なんかちょっと可笑しくて笑えてきちゃって、気付くと身体が温かくなっている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。