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適当さがほしい。

BOOKOFFで1,000円使っていいことにした。

川上未映子の文庫本と、よしもとばななの単行本を1冊ずつ選ぶ。単行本はちょっと変わった装丁をしていて、大きは文庫本と同じくらいだが、縦ではなく横に開く。ぐるぐる巻き付けられるくらいに長い、しおりの紐が特徴的。掘り出し物を見つけて、ほくほくとした気持ちで自転車を漕ぐ。

太陽がジリジリと照りつけて火傷しそうだけれど、そんなことはもうどうだっていい。セミの鳴き声が身体中に染み入ってくる。額に汗を滲ませて、わたしは遠くに行きたくなるのを堪えて、まっすぐ前だけを見つめて、せっせと自転車を漕ぐ。

夜眠れなくならないようにとカフェインを控えていたけれど、やっぱりやめられなかった。自宅に帰ってアイスカフェラテを作り、西陽が差し込む部屋で読書をする。あまり集中できなくて、すこし読んでは本を閉じ、部屋のなかを行ったり来たりする。洗面台とキッチンと風呂場を掃除して、結局本はちょっとしか読み進められなかった。

時間はたっぷりあるのに、読みかけの本ばかり増えてゆく。そういうところが駄目なんだぞと自分で自分を叱る。けれど懲りずに、また読みかけの本が増えてゆく。

そうこうしていると、お隣さんがピアノを弾きはじめる。お隣さんはいつも、なんともいえない、わたしの焦燥感をさらに煽ってくるような曲ばかり選曲する。顔も名前も知らない隣人が弾く、人を不安にさせる音楽。ドビュッシーの月の光とか、サティのジュ・トゥ・ヴとか、もっと心が休まるような音楽が、他にたくさんあるだろうに。それはわたしの勝手な都合だけれど。他人の生活音は、たとえそれが音楽に変わっても、苦痛でしかないことを学ぶ。

毎週日曜日に、風呂場の排水溝にカビキラーを撒く。越してきてから欠かすことのない、週に一度の習慣。水回りが綺麗だと気持ちがいい。洗面台もこまめに磨く。お風呂からあがるときは毎日、浴室全体を水で洗い流す。カビなんて生えていないのに、そもそも汚れるような使い方なんてしていないのに、しなければならないと思って、毎週欠かさずカビキラーを撒く。そういうところが、自分を生きづらくさせているんだぞと、思う。気づいているのにやめられない、わたしのルーティン。

もっと狭くて小さい部屋に住みたい。7.5畳の1Kが、こんなにも手持ち無沙汰になるなんて。わたしには広すぎる。何をどこに置けばいいのかわからない。自分がどこに座ればいいのかわからない。いや、わかるのだけれど、わからないのだ。だからいま、自分の家なのに至極居心地がわるい。もっと小さな部屋にすればよかったと、すこし後悔している。この部屋になれる日は来るのだろうか。

BOOKOFFで買った2冊の本は、部屋の余白を埋めるには頼りなさすぎる。でも、本以外の物は増やしたくないから、いまは間の抜けたような部屋でも仕方ないと思うことにした。この部屋の扱い方がわかるときが、来るかもしれないし、来ないかもしれない。こういうのも、すこしずつなんだろうなと思う。適当さがほしい。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。